2007年08月03日

友情のためのレシピ

用意するもの。
コップになみなみ2杯の忍耐心と、心からの愛。
両手いっぱいの寛大さと笑い声。
頭をいっぱいにつかって、人を理解する心。
そこに親切心と信頼とを気前良くいっぱいにふりかけ、これを良く混ぜる。
そして、一生の間、出会うすべての人にそれを振舞い続けること。

同僚の机の上に飾られていたメモに書かれていた文章です。
これは人との付き合い方を教えてくれる文章なのですが、犬や猫ペットとの付き合い方にもあてはまるのではないでしょうか?

ペットにそそぐ愛情は何かの見返りを望んでの事ではないはずです。
○○が出来ないから・・・○○出来るようになってほしいから・・・
世話をしたり可愛がったりするのではないはずです。

僕のポセイドンも4歳になりました、飼い主である僕の努力が足りなかったせいか、何かすごいことの出来る犬にはなっていません。
今でも恐がりですし、人見知りですが彼について誇れる事は、彼が家族といることを心から望んでいることです。

家族が幼稚園や学校、職場から一人また一人と帰ってくるたびにポセイドンは全身を使って嬉しさを表します。

犬と言う生き物は生まれ付き、友情のレシピを知っているようです。
犬の道理に会わないことでもじっと我慢して人に合わせる忍耐心と、人を信じて疑わない愛情。
鼻の先から尻尾の先までの寛大さ。
飼い主を見るときの犬の笑顔。

犬は自分を愛してくれる飼い主を愛してやみません。
でも彼らが僕たちに求めることは、命ある限りいっしょにいることだけなのです。

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2006年10月30日

永遠(とわ)へ

うちの子の幼稚園の同級生に横内永遠(とわ)くんと言う子がいます。
とっても可愛らしい男の子です。まーにいと同じ歳ですので六歳にななったかならないぐらいの子です。
彼のお母さんは歌手です、ディズニーランドのシンガーや、ミュージカルなどに出演して活躍していた女性です。
永遠君はお母さんとふたり家族です。
そして、お母さんはガンと戦っています。

この国は子供を育てる母親に優しい国ではありません。ましてや母親が病に倒れた時、行政や社会が暖かくてを差し伸べる国でもありません。

24時間保育ルームのある病院を全国に。


今はこうした親子を支援するネットワークが足りません。
親がギブアップすれば、子供は養護施設に預けられることになり、
親子は離ればなれに暮らすことになります。
それが出来ず、入院が必要な治療をこばむ親も少なくありません。

そんな親子が一緒に暮らすことができるためのしっかりとした24時間体制のサポートへの要請と、
同じ敷地内に24時間保育ルームのある病院が全国にできるよう、
CDの販売や活動を通して様々な場所で声にしていきたいと思います。

これは、闘病生活をしている永遠くんのママからのメッセージです。

ぼくは、同じ子どもを持つ親として、自分にできることはないのか?との思いからこのブログで発信する事を思いつきました。

今回の動画のなかで流れている曲は、横内美知代さん(永遠君のママ)がう歌っている「永遠へ」と言う曲です。この曲はCDに収められ、その収益金は横内さんの活動のために使われます。また、横内さんの思いを伝えた「永遠へ、ガンを抱えた母から、まだ幼い我が子へ」本も出版されています。

Shy Dogのサイトからもお求めになれますのでよろしくお願いいたします。

横内さんの立ち上げられた永遠の会にもご支援いただけたら思います。

僕は思うのです、可愛そうだから、辛そうだからと手を差し伸べるのではなく、病のなか子どもを育てている人は、明日の自分であると思っていっしょに活動してくださる事を強く願ってやみません。
また、自分の子どもたちに、「人を支える事、人を思いやる事」は当然の事だと教えたいのです。そのためには、親である大人が当然の事として行動する事が必要だと思うのです。
大きな事である必要はありません、自分のできる事でいいと思います。
まずは、横内さんのサイトを覗いて見て下さい。そして本をよんで下さい。
自分のできることをしてください。





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2006年10月19日

生き物が教えてくれること

わがやにはご存知悪餓鬼兄弟、まーにいとヒデがいる。
彼らにいっしょに住んでいる犬や猫たちが教えてくれることがある。
子犬や子猫の時には命の脆さやはかなさを・・・
年老いては、命のたくましさ、死と言うものを・・

大人にも教えてくれる。
人という生き物の愚かさを

命を大切にせよというその裏で、命を粗末に扱っていることを
見てみぬ振りしてくらすこと

犬畜生と言われても、彼らは自分が生きるため
必要なぶんをもらうだけ

なのに愚かな人間様は
生きるためでは飽き足りず
苦しめ命を奪うのさ

どんなに辛い思いをしても人に歯をむく犬は無し
彼らの瞳を覗いてごらん

どうしてあなたはわからない?信じることの尊さを

そういってるみたいだろ?

命の秤はないけれど

あんたとオイラとどっちが重い?

あんたは二足オイラは四足どちらも同じさ天から見れば・・・


犬畜生というけれど

あんたとオイラに流れる物は

おんなじ色をしているよ

生きたいことは命なら、あんたもオイラもおんなじさ

どうしてあんたはわからない?言葉に出来ないからなのかい?
しゃべれたからって、わからなきゃあんたはイヌのオイラより
劣っているって思わない?

でもね、あんたが大好きさ、なぜって?どうしてわからない?
オイラはそういう者だから・・・
だってオイラに神様は人といろって言ったから・・・





広島や、そこここのドックパークで起きたことや、これから起きるであろう事はそこの責任者たちだけのせいではありません。

そういったところを、おもしろおかしく使った私たち、そしてこういった事態になるであろうことを知っていた私たち、ペットブームの影ですてられた犬がいるってことを知っていた自分、それを人に伝えようとしなかった自分。

出来ることは人によってちがいます。
現場に駆けつけることと、人にこのことを伝えること、失われる命のためにすることに上下や軽重はありません。
出来る事をしましょう。

まずは知ることから。









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2006年10月12日

ファースト○○

人が生まれると、ファーストシューズってのがありますね。
よちよち歩きの小さい子供がはく靴は、軽くって軟らかいものが多いですよね。やさしく子供の足を包んで、でもあっという間に小さくなってしまいます。
使えなくなったからといって、汚れてしまったからといってすててしまう人はあまりいません。
大きく育った子供の大切な思い出なのですから。

ポセを迎えた時に買った小さい小さい首輪・・・
残念な事に寄付してしまったんです、今思えばとっても残念でなりません。

軽くって、軟らかいやさしい首輪。

あなたが迎える、犬にふさわしいファースト カラー

子犬に良く似合うやさしい色調の物、やんちゃな子に似合うポップな柄までいろいろご用意いたしました。

一度覗きにきてくださいね・・・・
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ぽせのファーストカラー




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2006年09月17日

なぜ、犬は外で猫は家の中なのか?ポセ父ちゃん的考察

日本では昔から「犬は外で飼って、猫は座敷に上がってもよし!」ってルールですよね。
「だって犬は泥足じゃん」だから外に繋いどくのさ、はたしてそうか?
猫だって昔は外に用を足しに行ったり、遊んで帰ってきたりしていたわけだ。猫が自分で足を拭いて上がってくるって話は聞いた事がない。
すると、この泥足説はなりたたんわけだ。
じゃあなぜ?
で、ポセ父さんはこう考える。
犬と猫の役割の違い
日本では犬の役割として番犬ていうのがある、狩猟民族ではない日本人には狩に犬を使うとか、羊の番をさせるとかいった役割は無いわけだね。
番犬が家の中にいたんじゃやっぱまずいでしょう・・・てなわけで犬は外で繋いで飼うのが日本流になったのではないのかなと思うわけだ。
じゅあ猫はどうなのか・・・・
猫は家の中のネズミを捕るために家の中に入ってもいい。
いえいえ、そんな答えじゃポセ父さんは満足しないのです。

時代小説を読んでいると、こんなくだりがありました。
真冬の越後で嫁入りしていくお姫様の話なのだが、「姫は猫を抱いてかごから降りると・・・・」これだ!!
小さな籠の中で炭火など焚こうものなら一酸化炭素中毒は必携だな、猫ならそれはないもんね。
それに、猫の習性にあったかいものにくっつくてのがあるって、あのムツゴロウさんが言ってたもんな!
もしかして・・猫は暖房器具だったのかもしれない。
暖房器具はやっぱ外に置いておいたのでは役に立たんものな、うん、きっとそうにちがいない。
そんなわけで、日本では犬はそと猫は家に入ってもよいってルールになってんだと一人思い込む今日この頃です。
セキュリティーと暖房器具の成れの果て・・・
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2006年08月17日

Howling

先日子供とアニメ映画をみました。
「101匹わんちゃん」です。その物語はあまりに有名でここで語ることではないのでやめときますが、物語の中で「遠吠え通信」といったものが出てきたと思うんです。それは、さらわれた子犬たちを探すために親犬が遠吠えで他の犬達に呼びかけるために使われていました。

犬を飼い始めると色々な問題に直面します。ものを壊したり、粗相をしたり、分けも無く吼えたり数えればきりがありませんよね。
世の中には犬を手放さなければならなくなってしまう人がいます。その人たちが「悪い奴」「酷い奴」と非難することは簡単です、しかし、問題行動をおこした犬の飼い主さんに誰か情報やアドバイスや励ましを、私たちはあげたのでしょうか?
色々な経験をつんで現在なんとか犬を飼っている飼い主さんのその経験は問題行動に躓いてしまった飼い主さんにとってとても有意義だと思います。

以前からドッグコミュニュティーが必要だと言い続けてはいるのですが、なかなか良い形でコミュニュティーを創ることが出来ませんでした。リアルな世界でのドッグサークルも試してみましたが、僕の思っているようなコミュニュティーには育ちませんでした。
では、どうしたらよいのかと考えていたところに、以前友人がやっていたメールマガジンのことをおもいだしたんです。それは自殺をあつかったものでした。自殺したいと思い始めた人が自分の悩みや思いを投稿して、それに対して読者が(ほとんどが自殺願望が過去にあった人でしたが)アドバイスや励ましを送る。それをメルマガで読者に送り続けるものでした。

経験とはお金で買えるものではありません。であるのならば「自分の経験を人のために役立ててはどうだろうか?そこから受けるアドバイスや励ましで、問題をのりこえることが出来たのなら、その経験を後から来る人達にシェアできないものだろうか?

僕には、月に何回とか、週何日とかいったボランティアはできません。でも、こんなメルマガを管理して運営する事なら出来そうな気がします。

毎年、秋と春に生まれてくる子犬たちはある程度簡単に飼い主が見つかるものです。しかし、成犬はなかなか見つからないのが現状なのです。たとえその犬が純血の犬であっても例外ではないのです。であるのであれば、「自分が飼い始めた犬は生涯飼い続ける」ことができれば、成犬ですてられる犬が減るのではないでしょうか?そのために僕はメルマガを発行します。

犬の遠吠えのように遠くにいても人を救ったり励ましたりできるような気がする・・・





ニックネーム ポセイドン at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

ビビリのポセ?

ビビリの犬も今やこんなにリラックス・・・
ポセイドンはビビリの犬でした。
そうです・・過去形なんです。少し恐がりかな?と思うぐらいのふつーの犬になりました。

ポセが生活しているのは、とーっても田舎です。人に出会わずに散歩が終わってしまうなんて事はしょっちゅうあります。 ポセにとってこれはとってもいい事だったんですね。
ポセは母犬と7匹の兄妹一緒に茨城県の郊外で保護されました。 そんなポセの兄妹は東京近郊の里親に一頭づつもらわれていったわけです。街中で生活している者もいれば、ポセのように田舎に生活している兄弟もいるわけです。
母犬の遺伝や性質(野良犬として生き残っていくためには注意深さが必要)胎教もあって7匹すべてが程度の差こそあれビビリです。 比較的刺激の少ない田舎で生まれ、母犬としばらく放浪していたポセは多くの刺激に耐えることが出来ませんでした。なにを見ても恐く、なにの匂いでも震える そんな子犬だったのです。 そんな、ポセがなぜふつうのどこにでもいる犬に見えるようになったのか・・・ ひとえにポセ父さんの努力?
いやいや、ただただ可愛がっていただけなのです。 以前書いいた記事の中に、ビビリや嫌いなものがある犬には「脱感作法」がよいと言う記事を上げた事があります。 このポセ父さんもポセに対して「脱感作法」や「洪水法」を試しました。どの方法も「犬を励ましたりなだめたりしてはいけない」といわれています。他の犬のことは 分りませんが、ポセにとっては「励ましややさしい言葉」は必要だったようです。 「脱感作法」や「洪水法」ではなく、ただただ、「ポセ父さんといっしょにいれば、ポセ 恐くない!」とポセイドンが思えたときポセのビビリは影をひそめたの です。
そのためにポセ父さんがしたことは、「ポセとできる限り長い時間をすごす」「数種類のコマンドをおぼえさせて、それが出来た事で褒める回数を増やす」(ポセが出 来るのはどんな犬にも出来る、お手、お代わり、すわれ、伏せ、まて、)そしてなによりも、どんな事でも良いから遊んであげることです。
ポセ父さんはこう思います、問題行動(無駄吠え、破壊、ビビリなど)は結局飼い主が「絶対直す!」といった意思を持つことと、愛情を傾けることでなおっていくものだと。

問題行動犬の飼い主にとって「プロの訓練士を雇う」事も「自分の過ち」をみとめると言う決断なくしては出来ないことだと思います。それはある意味つらい決 断だとも言えるでしょう。 たとえそれが嫌悪刺激を用いる訓練だとしても、飼いつづけることが出来なくなるよりよっぽどましです。 ポセ父さんの友人がこんな事を訓練士さんに言われたそうです。
「治らない犬はいません、治らない飼い主はいますけどね・・・」


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自分が好きで可愛くって飼い始めた犬です、最後まで一緒にいたいものですよね・・・

ニックネーム ポセイドン at 21:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月04日

犬が咥えてくるもの

犬をかっていると色々な物をくわえてくる。
サンダル?こわれた靴?

いやいや、ポセが咥えてくるのはそんなものじゃありません・・・
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ポセが咥えてきたものは、元ジムカーナのレディースチャンピオンや、カーレースで一番高いところに立ってしまう小説家のおじさんや、某出版社のミステリー小説の翻訳家やら・・・・考えるとすごいのね・・・・他にもすごい人がいたりする。
犬は友達をつれてくる、犬が犬の友だちをもとめるからなのか?

ポセ父さんはもし犬を飼っていなければ、一日中屋内から出ることは無いだろうし、ましてや、道ですれちがった人と挨拶を交わすこともないだろう。
こんなブログを書く事だってなかったかもしれない。イヌグッズのお店を開くことだってなかったろう・・・・

犬を飼うことでこんなに人と知り合うことが出来るとは正直思わなかった。
犬に群れをかえしてあげると、ステキな友達が出来る。
犬を飼ってみたくなりましたか?・・・

それでは、ぽちっとふたつ・・

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ニックネーム ポセイドン at 23:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

家庭訪問の季節

我が家の二本足の子犬どもも、新学期が始まって早半月。
そろそろ家庭訪問の季節です。今日我が家にも幼稚園の先生が家庭訪問に来たそうで・・
やっぱり、親といたしましては何か問題でも起こしていないかと心配なわけで。下のチビ助なんかは、性格がそのまんまラブの子犬でして・・情けない・・。案の定、幼稚園にバスで到着すると同時に園庭ではしゃぎまくり、先生の呼び戻しもあまり効果がないようです。ただ、そこはそれラブなもんで授業が始まる前にはエネルギーを発散しきってしまうようで、その後はきちんとトレーニングいや授業を受けられるそうです。
まるっきりラブ夫くんのかれは、やっぱり褒め言葉に弱くってトレーナーいや先生が注目している限りはコマンドに従ういや言う事を聞けるようです。

お兄ちゃんはと申しますと・・これがまた典型的和犬でして・・柴なのかぁ?飼い主いや親の言う事はそこそこ聞けるのですが、よその人にはなかなかなつきません・・・
頑固、強情の代名詞のような奴でして・・・なさけない・・・
でも、一年も訓練所いや幼稚園に行っておりますと、そこはそれ、それなりにトレーナーいや先生の言う事も聞けるようになってきたようです。

んで、ここは犬ブログですから、この枕話から無理やりにでも犬の話題に持っていかなければ成りません・・・少々無理があるとは思いますが、お付き合い願いたい。


後の話しに付き合う
ニックネーム ポセイドン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

久しぶりに、小理屈

退屈したらごめんね・・

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世の中には、沢山の躾本があるよね。
ポセ父さんは、その中に書いてあることは、すべて正しい事だと思っている。嫌悪刺激を用いていようが、肯定強化だろうがすべての記述は正しいと思う。ただし、その著者が今までに経験した事のある犬については、と注釈は付くんだけれどね。

ポセ父さんは、躾本や犬について書かれた書物は、自分にとって辞書やバイブルにはならないと思う。どう言う意味かって?
たとえば、ポセ父さんもそうだったのだけれども、一冊の躾本を手に入れてそのとおりに犬を躾ける、何か問題が有るたびに、その本のページをめくってそれに該当する項目を見つけて、そのとうりに実行する。一見、最新で人気のある躾本なら正しいような気がするでしょ。でもね、ポセイドンはポセイドンであって、その著者が見たわけじゃないって事だね。そう言った本がポセイドンにぴったりと当てはまるのかな?
答えはNOだと思っている。

じゃ、ポセ父さんにとって躾本や犬の本はどう言うものなのか?
ます、ポセ父さんは一冊の躾本ですべてを満たす事は出来ないと思っている。父さんが躾本を読むのは、犬についての知識を増やすためなんだ。
ポセの場合は、この本のここと、あの本のここ、その様な感覚なんだな。

ポセイドンの事だって、時間がたてばたつほど色々な事が解ってくる、解る為、理解するためにも知識は必要だと思う。
上手く言いあらわせないのだけれども、犬についての読み書きソロバンが出来ないと犬を理解するのが難しい。言いかえれば、犬についての読み書きソロバンを知っていると犬を理解しやすいってことかな。

じゃ、どうすりゃいいの?
ニックネーム ポセイドン at 22:54| Comment(0) | TrackBack(1) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

タブー

むかしむかし、あのドリフターズのカトちゃんが「ちょっとだけよん」って踊ってたあの曲の題名ですが、今日の内容には一切関係ありません。

で、ポセ父さんは犬ブログを書くに当たっていくつかのタブーを持っている。今まで書かずにいたのはチョッと卑怯かとも思うのだが、わけあって今回書いて見ようと思う。

一つめのタブーは、「攻撃性に通ずるような犬の問題行動について書かない事」なぜなら、事が重大すぎるんだよ。ポセ父さんが書いたことを記事にしろコメントにしろ、攻撃性のある特に人を咬むような犬の飼い主がポセ父さんの言うとおり実行したとしようか。運よく攻撃性が収まればいいけどね、いかなかった時には、人が怪我をするか、犬が歯を削られてしまうとか最悪の場合犬の命にかかわっちゃうでしょ。人を何度も咬む犬はセンター送りって相場が決まってる。
犬を見ることもなしに重大な問題行動に対して素人であるポセ父さんができる最良のアドバイスは「よいトレーナを見つけて、人犬ともにトレーニングをお受けなさい」だな。決して「鼻を噛め」でも「耳を噛め」でもなくって、ましてや「犬の口に奥まで手を突っ込め」じゃないんだ。
仮に、自分の犬で成功していても、違う犬に効力がある!と断言できんでしょ。だからこの事に関しては書かないことにしている。

二つ目のタブー、最近あやまったばかりなのだけれど・・・
内部のことを知りもしないボランティア団体や個人を批判したり中傷しない事。当たり前だね・・・・できてなかったけどさ・・
地道に努力を重ねている人達の邪魔はしないに越した事がないですね。
ですから、これも書きません。

三つ目のタブー、海外の情報をそのまま流さない。これは、?と思うかもしれませんが、日本と欧米の犬はもしかすると全く違う生き物かもしれないと思っております。生活環境や社会の違い、何より犬を道具として使ってきた文化、どれをとっても違いすぎる。情報に対してはまず、ポセイドンに犠牲になってもらって(笑)試してからでないと、責任がとれません・・・
ですからこれは試したのち書くかも知れません。
あっ!行動学の基本的な文献はべつよね。

四つ目のタブー、自分の犬にしていないトレーニングについて語らない。
なぜって?結果がわからないからです。まねして良くなってくれりゃー良いですがね、そーともかぎらんでしょ。

基本的に言って、ポセ父さんは素人なのね。大人になってからキチンとトレーニングと言えることをした犬は、まだ三頭。ポセイドン、アキレス、ミッキーだけだものね。そんな人が他人様の犬についてアドバイスなんて奥がましくって。

このブログを読んでいる皆さん、できれば「素人でも自分の犬を訓練する事は可能なんだなぁ」とか「自分の犬はどうなんだろう」と思って読んでくれたら幸いです。上手く言えないのですが、自分の犬との関係を見直したり、トレーニングを始めるきっかけになればと思って書いてんのです。

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この子はだーれだ?


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2006年04月14日

あの子が帰ってきた日

48年前の今日、四月十四日 先日 紹介したあのクドリャフカが地球に帰って来た日です。
しかし、彼女は生きてもどることなく、小さな流れ星となって燃え尽きました。

今日、あなたの犬は笑っていますか?

クドリャフカはきっと、これが終わったら家に帰れると信じていたことでしょう。

この悲しい物語は今も続いているのです。
信じていた人間に裏切られたことも知らずに、今日もどこかで息を引き取った犬がいるのです。

あなたがもし、犬と暮らし始めたら 決してその手を放さないで下さい。
犬は、裏切る事を知りません。悪戯やあなたをこまらせることもするでしょう。
しかし、彼らはそれが悪い事だと知ってはいないのです。

どうかお願いです・・・

犬と一緒に暮らすすべを身につけてください。

Play Bow にはそんな思いがこめられています。




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2006年04月12日

ライカ

今日こんなサイトを見つけた・・・

凡さんという方の作ったフラッシュアニメのサイトだ。


題名は クドリャフカ


見てごらん・・


ポセ父さんはいい年をした男である、でもね・・涙が止まらんかった・・


この国では年間約16万頭の犬達が意味もなく殺されている。
意味がある死ならよいと言っているわけではないんだよ。

犬は人を信じるように創られている、そういうふうに人が作り出したのだから。ましてや人の手で育てられ、人を信じることを教えられた彼らが人をどう思って逝くのか・・・
今一度考えてほしい・・・


人は親になったら子供に責任がある。
では、人類が生み出した犬と言う子供に、責任はないのか?

クドリャフカは彼女の最初で最後の仕事のために、従順にトレーニングされ
その仕事をまっとうした・・・

ポセ父さんは何時も言っているように、トレーニングとは信頼関係を築くものだと信じている・・

人が、犬と築いた信頼を裏切る事のないように、心から祈る・・・


クドリャフカとは巻き毛の女の子と言う意味だそうだ


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2006年04月11日

一言いう前に出来る事

きょうの午前の散歩のときに、久しぶりにウィニー君(仮名、ジャックラッセルテリアなのだが、あのツルンとしたコートとあのぽっちゃりがね・・皮無しウインナー・・)にあった。以前から良く散歩の途中で出会うのだが、最初の遭遇が最悪だった・・・

去年の11月ごろ、ポセ父さんは姉のうちのミッキー君(パーソンラッセル テリア2歳♂)を昼間の間預かっていた。そのミッキー君はと申しますとですね・・
下こいつが・・ミッキー下

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又の名を、生体音響兵器、鳴き竜、ホチキス、紙パンチ。
ご想像どうりの噛み癖あり、無駄吠えありのワンコです。そいつとポセの二頭立てで散歩しているときに、ウィニー君に出会った最初です。

案の定、ミッキーはギャンボエして、ウィニー君も当然それに応酬!
ポセまで興奮してしまって、やむなくポセ父さんは道を変えてその場を去ったのです。

それ以来ウィニー君はポセを「恐い奴」と認識したらしくすれ違うたびにギャンギャン吼える。
ポセの姿を見つけるまでは、ヒールはしていないまでも極々普通に歩いているのですが、ひとたび犬を見つけると、すったかたったったーと走りよります。走りよって一定の距離(セキュリティー ディスタンス)を越えると・・パクッと行くんですな。不思議な事に大きな犬のほうが彼の被害にあっているようです。
典型的な逆切れ噛みなんでしょうか?ひょっとしたら家の奴らのためにトラウマっちゃったのでは・・・(汗)

で、今日はと申しますと・・やっぱり来ました・・・・
以前のポセ父さんなら、愛犬を守るためにと言いまして・・蹴っていたことでしょう。そこはそれ、ポセ父さんも少しは成長しているので、飼い主さんに、ニッコリ微笑んで「おはようございますぅ〜」と声をかけました。
ポセがいることに気づいた飼い主さんは、リードをはっしと持ち直し短くもって立ち止まりました。
ウィニー君の飼い主さんと「何歳ですかぁ〜」とか当たり障りのない会話をしつつ、ポセ父さん、この飼い主には一言教えてやらにゃーなるめー、などと不埒にも思ったのであります。なにせ、ポセ父さんは脱感作法もマイコーチから聞いていましたので、ここはその知識を活かさねばと思ったんです。



んが!しかし、同時にあることを思い出したのです。
それは、新すずきさんのブログの鈴木さんが、愛犬クロと経験した事を書いた記事です。詳しくはココね・・

確かに、ウィニー君は犬に吠え掛かり、高じては攻撃まで仕掛ける犬です。しかし、ポセはどうなのか?そう、犬に吠えられる犬なのです。
恐怖から吼えたり攻撃してしまったりする犬の前にいるのに、立ったまま、鼻面はウィニー君のほうをむいて、何時でも飛び掛る事のできる状態です。
飼い主としてポセ父さんがとらなければならない方法とは、まずポセを座らせるか、伏せさせる。これは、カーミングシグナル的には「僕は君になーんにもしないよ」といった意味になるのだそうです。
考えて見て下さい。自分の体高の二倍以上の強面の獣に出会ったら、恐いに決まってますよね。ウィニー君は「コイツ何すっか分んないぞ!!」って思っていたことでしょう。

また、ポセイドンにとって伏せたり、座ったりすることは興奮をクールダウンする効果もあるのだそうです。

そうして、すこしお互いに落ち着いたところで、ご挨拶。
すこーし、お互い唸ってはいたものの匂いを嗅ぎ合い、ポセなぞはプレイバウまでご披露して、さよならする事ができました。

「あんたの犬を躾けろ!」と言うのは簡単ですが、その、あんたの犬をポセ父さんは躾ける事もトレーニングする事もできません。
恐がって吼えている犬に、自分と自分の飼い犬が何が出来るのか?

犬に向かって吼えたり、攻撃をしてしまわない犬を育てる事は当然の事だと思います。しかしまた吼えられたり、攻撃されない犬にする事も必要なのではないのかなと、ポセ父さんは思うのです。


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2006年03月23日

一歩踏み出すために。

今日はポセの話はお休みです。

前に書いた「ここんとこが足んないのか・・」と言う題名のブログにも書いたとおりポセ父さんと仲間たちは、今犬猫達に必要なあるボランティアサークルを立ち上げようとしている。
いま少し立てば内容について書くことも出来るのだが今のところは準備段階なので控える事にしよう。

ただ、ポセ父さんが個人的に気がかりな事は、以前からポセ父さん自身が里親会や保護団体について批判を繰り返してきたことだ。
正直、今は不当な批判も多々してしまったと悔いている。
ここのところを自分なりにクリアーにしておかなければ今後どのような形で活動するにせよ自分がゆるせなくなってしまうのではなかろうかと思う。

ポセ父さん自身は批判のつもりで書いていたとしても、読み手にとっては非難に取れてしまうこともあったことだろう。またポセ父さん自身が特定の個人や団体に対して書いたつもりであっても「里親会や保護団体、ボランティア」といった不特定多数をさす呼び名で記事を書いてしまっていることにも自ら恥じるしだいだ。読み手にとってこのような表記では真剣に取り組んでおられる団体や個人も皆同じひとくくりのものとして感じとれてしまう。
我が敬愛するコーチは現在とある保護団体の預かりボランティアをしている。彼女から話を聞くにつれ、極限に近い状態でボランティアに貢献している人々がいることを思い知らされた。
一番自分が恥じているのは、「自分自身を安全な環境においたまま」努力を重ねておられる人達を批判してしまったことだ。

ここに、心からお詫びします。

心無い批判にさらされてしまった貢献する人達へ

ごめんなさい

これからは批判する事を捨て自分に出来る事を少しでも多くやっていく所存です。


ポセ父さん

ニックネーム ポセイドン at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

ここが足んないのか・・・・

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先日、犬友達であるGUUさんと話していた時の話題。
何時まで犬を飼い続ける事ができるのだろうかと言うお話だった。
GUUさんは皆さんもご存知のぐれいの飼い主である、まだまだお若くお美しいのだが(こう書かんとわが身に危険が・・)もうグレイで自分の飼い犬は最後だと思うとおっしゃる。
子犬から飼い始めて10〜16年間責任が持てないからだそうだ。
ポセ父さんはGUUさんは良い犬飼だと思う、であるから死ぬまで犬を飼い続けてほしいと思う。しかしGUUさんの自分亡き後の責任といった事にも全く同感なのだ。
別の見方をすれば人間いつ何時なにがあるかなんて分らない、今日元気でも明日ぽせとうさんが元気である保証は全くないのである。
また、命を失わないまでも犬と生活できなくなる可能性は数限りなくある。
犬を飼い始めたその瞬間から飼い主は放棄犬の元飼い主になる可能性を持つと言う事だ。
自分亡き後のペットがどう生きるのか?安心して暮らすために今足りないものはペットコミュニュティーではないのだろうか?
純血種の犬種別のサークルは、ある意味このコミュニュティーであると思う。
飼う事のできなくなったペットをだれかが飼ってくれる。しかも自分の知っている人が飼ってくれる事は安心していられると言うものだ。
こう言ったコミュニュティーが多くできる世の中になれば、里親探しも数が随分とへることだろう。

加えて思うのだが、ペットを放棄する事を防ぐ運動といった物も余り聞かない。放棄される動物は殆どが問題行動を抱えているもしくは飼い主が問題を抱えてしまっている。飼い主の問題は解決しがたい物があるのだろうが、犬の問題行動はトレーニングで予防する事も解決する事も簡単か難しいかの違いこそあれ出来る事だと思う。
しかし、犬のトレーニングについても未だに限られた純血種にするものであるとか、犬にとって辛いものであるとかの誤解があることも事実だろう。
とにかく、ポセ父さんにとってもトレーニングスクールは敷居が高い、もっと簡単にどんな犬でも通う事ができるスクールが出来なければいけないと思う。
いままで、批判めいた事も随分と書いた、しかし、それだけでは変わっていかない事も事実として知っている。

ここが足んないのか・・・と気づいたのだからそろそろ重い腰を上げるとしよう。
手始めに自分のできることから。
ポセ父さんはどんな犬でもトレーニングする事は可能であると信じる。
また、どんな飼い主であっても少しの努力と学習で犬にトレーニングをする事ができるとも思っている。

ここに宣言しよう(とってもやだけどね)ポセイドンにCDを取らせて見せましょう!今後のこのブログはポセイドンと父さんのトレーニングの記録になっていきます。
それをみて、自分もやってみようと思う人が出ることを祈って・・・
また、ペットコミュニュティーを造りだすべく、ごそごそと動き始めよう!
ポセ父さん
二月吉日

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ニックネーム ポセイドン at 22:44| Comment(1) | TrackBack(5) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

超初心者用 犬の話し

最近、身近で脱走の話がありまして、ポセ父さんは思ったのです。
犬を逃がさないためには何を知る必要があるのかと・・またなぜ犬が逃げてしまうのか、逃げた犬をどう探すのか、余り情報が無いようなのですね・・
でですね、ポセ父さんより犬暦のながい飼い主さんに聞いてみたのです、「犬を逃がさない為にはどうしたらいいの?んでさ、逃げちゃったらどうしたらいいの?」ってね。
ジャック君の預かりをしている、ちはりん姉さんに聞いたところ「私、犬逃がしたこと無いから・・・わかんない・・」犬猫屋敷の管理人に至っては「犬は絶対帰ってくる動物だろうが!」とのお答えでした。
これで、全部大文字のGUUさんに聞こうかなとも思ったのですが、以前「うちのグーちゃんはリーどを指でつまんで、チョチョイのチョイだから」といっていたのを思い出したので聞くのを諦めてしまいました。
仕方なく、ネットで検索してみたところ・・・・

ペットを迷子にしない為に


室内飼いにしていても雷、花火、大きな音などに驚いて飛び出して脱走してしまう場合があります。

またヒート中(発情期)などは避妊去勢していないペットは特に注意が必要です。
ヒート中は個体差はありますが、本能で動きます。
2階からから飛び出してしまったり、高い塀なども乗り越えて逃走したり
一瞬の隙をみての逃走その結果、不幸な交通事故なども多いです。
十分気をつける必要があります。

未去勢のオスの事故率は全体の80%を占めるというデーターなどもあるようです。


保護された時に飼い犬、飼い猫であることがわかり、
飼い主に連絡を取ってもらうためには、名札をつけることが一番です。

動物愛語法では「所有の明示」として名札等をつけることが義務付けられています。

首輪の裏などに名前を書いても、危険がある為に愛護センターなどでは見てくれません。
首輪の分かる場所に名前を書いてください。

マイクロチップも有効ですが、まだチップの読取装置が統一されていません。
行政などの収容施設にも読取装置が無い場合が多いです。


それでもペットが迷子になったら・・・


警察、愛護センター、保健所、などに一刻も早く連絡しましょう。

保護されたペットは最終的には動物愛護センターで一定期間収容されます。
行政で保護されたペットは期間を過ぎると殺処分される事になります。
(地域によって収容期間や処分が行われるかは違ってきます)

 
広い範囲で動物病院などにも連絡してポスターやペットの写真などを持って行きましょう。
事故に遭遇し保護されている場合もあります。
事故の状態が悪いとやもおえず安楽死を選択される場合もありますので早急に連絡する事が必要です。


いつもの散歩コースや家の周りを探してみましょう。

 
迷子のポスターやチラシを作って多くの人に情報提供を呼びかけましょう。


事故死などの場合清掃局に問い合わせてみると分かる場合もあるようです。


<注意>めでたく見つかった場合は早急に張り紙をはがしに行くことが大切です。
後々、同じような方がいらっしゃったときに貼らせてもらえない。
なんてことにならないように、マナーはきちんと守りましょう。


●迷子犬猫 携帯掲示板
ぜひ利用してみてください。


と言ったかんじです。しかし、へそ曲がりのポセ父さんはこれだけじゃまだまだ足りないと思いました。決してこの内容が間違っている訳ではなく、このとうりにする事は最低限必要だと心の底から思っているのです
犬の行動学や犬の歴史など様々なアプローチができる気がします。

そんな訳で、またまた、ポセ父さんの独りよがり連載!
超初心者用 犬の話し  その1 の始まり始まりぃ〜

犬を繋ぎとめておくものは?

犬といったら紐でつないでおく者と思っていませんか?
上野の西郷さんも犬にきちんと綱をつけて引いているし、ノーリードで散歩していたら後ろ指を指されてしまいますよね。
しかしだ、犬を繋ぎとめている物はホントにリードや首輪やハーネスなんでしょうか?

綱に繋がれている動物といったら何を思いうかべますか?
犬、馬、牛などですよね、中でも代表的なのが犬と馬です。先ずは馬を繋ぎとめている物の話から・・・

馬は、轡をつけてそれに手綱をつけています。轡は犬にとっての首輪のような物です、また手綱はリードにあたるものだと思ってください。
馬にとって手綱は人間からのコマンド(合図)を受けるための物でもあります。なぜ馬はその様な方法で人間からの指示を受けているのでしょう?
答えは簡単!馬にまたがっている時も、荷車や馬車を引いているときも人間は常に馬の視界にはいないからです(ハンドサインは馬には見えない・・・)。また、乗馬をされるかたはご存知でしょうが、歩くまたは走っている馬の上で言葉を発することは、これ!自殺行為です・・舌が何枚あっても足りません・・・故に!声符(声によるコマンド)は使えません。
また、馬と言う動物は現在の乗用車やトラックとしての役割を果たしてきた動物です。それが故にある程度の汎用性をもとめられてきました。
馬を動かすための動作はその発達した道具(轡や手綱)のおかげでほぼ万国共通です。ですからその操作法を学んでしまえば、馬に乗って歩く事はさほどむずかしいものではありません。(障害をとんだりするのは無理としても)
馬具というものは、最小限の知識と経験と訓練で馬をあつかうために今日まで発達して使われてきたのです。
馬具を介して前進、後退、右折左折、停止なんと!急ブレーキだってできちゃう!と言うスグレモノ・・・


それでだ、我らが愛して止まない犬達はと言うと。

まず首輪からですが、色んな種類の物がありますよね、普通の首輪、チョークリード、チョークチェン、ハーフチョーク、ジェントルリーダー
などなど・・リードも最近ではフレキシブルなんてものまで出来ました。
ポセ父さんは、(勝手に)思うのです。犬をコントロールしようとして色々な道具が作り出されてきたのではなかろうかと・・・・
しかも、それは成功を今日まで見ていないのではなかろうか?
そしてまた、犬の生態を全く無視して考えられてきたのではなかろうかと・・


なぜ、そんな考えにいたったのかと言うと・・・

犬と人間との関係は氷河期のころ人間が少しでも食べる物の多いところを、あっちへうろうろ、こっちへうろうろしている頃に始まったと言われています。それは、狩のパートナーとしてや猛獣からのボディーガードとして、はたまた最悪の時には食料としての関係だと言われています。
その頃の人間は犬を繋いで連れ回してはいなかったようです、なぜならその様な道具が発掘されたと言う事は聞いた事がないでしょ。
どちらかと言うと、犬にとっては「こいつらと居ると飯が簡単にくえる」人間にとっては「狩をする時になかなか役に立つじゃん!」といった感じの共生状態だったのではなかろうかと思うのです。
ぶっちゃけた話し、お互いに都合が良かったので人間も犬も離れることなく移動して生活していたわけですな・・・
そして、悪知恵の働く人間が犬を自分たちの都合の良いようにトレーニングしたり、品種改良したりして今日の犬と人間の関係が出来てきたわけです。
犬が人と生活しようと決めた時に繋ぎとめておく必要も、必然性も無いってことです。

犬手を引きずり回して狐を追う何十等のビーグル犬やロングリードを引きずって羊を追うボーダーコリーを見たことがありますか?
なぜなら、犬には声符やハンドサインを使う事ができるのですから馬のような轡や手綱に類するものは必要が無いのです。
ましてや、チョークチェーンに代表される、人の指示に従わないと犬にとってとーっても都合が悪い事がおきる物は、犬が学習する事が出来るって事を全く無視しているるのではないのでしょうか?
犬をよく理解して学んでいけばその様な物に頼らなくっても済むのにねぇ・・

では、なにゆえ今日犬は繋いで飼いましょう!なのか・・・・
これもポセ父さんの(勝手な)解釈ですが、犬が都市部にすまなければならなくなったからではなかろうかと思うのです。
そこでは、他の犬とも出会うことが多くなるでしょうし、また犬にとっての誘惑の多い(食べ物の匂いや興味をそそる物)事でしょう。
またまた、今日に至っては犬にとって危険な物が(車)街中にうようよしているわけです。そこで、リードと首輪の登場と相成るわけです。
即ち!リードと首輪とは、犬をほんの一瞬止めて置く物だと言うことです。それは、犬を繋ぎとめておく道具には決してぜーったい外れないって物が存在しないと言った所からもお解かりいただけるかと思います。

結論は、犬を繋ぎとめておける物は、トレーニングによるコマンドの完成と飼い主である人間と犬との信頼関係以外には無いってことです。

ぜひぜひ!これから犬と暮らそうと思う方は犬と暮らし始める前に、トレーニングの方法を憶える事とそれをなすために人間である貴方にとって良いコーチを見つけておくことをお勧めします。

これ書くとまた怒ったり泣いたりする人が出るやも知れませんが・・・・
言わずにはいられない!嫌われたって良いやい!

自分の飼い犬に、呼び戻し、もしくは最低限、呼び止め?が教えられない人は保護犬の預かりボランティアをやらないでいてほしい、また出来ない人に犬を預ける事を保護団体はやめてくれ・・・・
怒ったり泣いたりする暇があったら出来るようになってくれ・・・・・
ダブルでもトリプルでもリードでは犬は繋ぎとめておけないのだから。



ニックネーム ポセイドン at 22:14| Comment(0) | TrackBack(2) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

びびりの犬とのくらし方 その7

犬の行動学 エーベルハルト・トルムラーより


社会性を身に付ける時期(八〜一二週)

この時期、自分たちの避難場所でもある巣との結びつきはまだ相当緊密ですが、子犬たちは許されたより広範囲の遊び場にも安心するようになってきます。しかし、何かの危険かせまるとまっしぐらに巣や両親の元に駆け込むのです。
さて、巣についで、子犬に必要な遊び場は、彼らの運動能力、好奇心が発達するにつれて広がってきます。両親は餌を運び続け、時には生きたままの小さな獲物を持ってきてやり、子犬たちは獲物を捕まえ、殺す経験を積むのです。彼らは常に最初に餌を食べることが許され、成犬は彼らが満腹になってから手をつけます。子犬たちは、なんとかよい餌を取ろうとして懸命に争い、毛を逆立て、稔り、相手に食いついたりする防御行動が大変進歩してきます。おなじような行為は、刷り込みの段階でも見られるので
すが、この時期の最初の数週間において、餌を守るために最高度に発揮されます。

この時期に飼育者は、犬に対する愛情からかえって根本的な過ちを犯してしまうことがままあります。彼らは、昔の犬学の大先生、エミール・ハウクの助言に従い、子犬たちが一匹ずつ食べられるような餌箱を用いるのです。こうすれば、すべての子犬は自分の食物にありつけるのですから、これは善意から出た考えといえるでしょう。でも、そもそも餌の量が充分あれば、一匹ずつの餌箱がなくても食いはぐれることなどないのです!
充分食べた犬は次の犬に場所を譲るものです。食物に関する闘いは社会的意味を持ち、それが子犬の場合は、どうやって自分の権利を相手に認めさせるかの問題であり、この過程を通して、白分の持つ攻撃性の大部分を発散してしまうのです。

いずれにせよ、私個人が観察したところによれば、餌を巡る闘いは、社会性を身に付ける時期においては危険なものではありませんし(実際、何事も起こりません)、その結果、少し経てば、頭をくっつけ合って、同じ獲物を平和に食べるようになるのです。つまり、充分な獲物を一緒に倒せば、このような闘いは無意味であることが判ってくるからなのです。

馬を使った狩猟の後で、三○頭ばかりのフォックス・テリアが、褒美として獲物の内臓を与えられた時の光景を見れば、私の言いたいことがよく理解していただけるに違いありません。犬たちは、足を動かしながら身体をよせあって、各々が獲物のかけらに食らいつき、捻りもしなければ、争いもなく、ただ、満足して食べる音しか聞こえてこないものなのです。
若い犬たちの発育の終極的な目的は、仲間の犬とうまくやってゆくことであり、社会的生活は孤独な生活より進化したものなのです。単独で狩猟生活を営む動物は、食物に関する競争相手の存在を許すことができません。一方、ある集団に参加すれば、その動物はより確実に食物にありつけるのです。

そして、集団生活の場合、より容易に食物が確保されるかわりに、個体が食物に関して反社会的行動をとることは許されなくなります。一九世紀後半のドイツの偉大なる自然研究者エルンスト・ヘッケルは、若い動物に、その発育の過程において、原始的な性格が多く現れることを観察しています。ある動物の進化というものは、進化の前段階において有益であったものをある日完全に否定しておこなわれるものではありません。不要となった性質も、以降の進化の過程において保持される場合がしばしばあるのです。
ヘッケルは「動物の個体の発生・成長の過程は、その動物が進化してきたありさまを手短にくり返す」と述べています。犬の生涯の最初の数カ月において、食物を巡る争いが生ずる原因というのは、原始的な「前犬属」、すなわち単独で狩猟をおこなった時代の痕跡であろうと私は考えるのです。もし、子犬たちが幼い時、つまりその争いが深刻な結果をもたらさない時期に、攻撃性を充分発散させられるなら、成長してからは皆と一緒になって、平和に餌を食べることができるようになるでしょう。最悪の場合
でも、お互いに策略は用いても、相手を殺してしまうほど噛むようなことはないはずです。
ともかくも、私の犬舎では、何世代もの犬が同居し、犬の数が過剰であったにもかかわらず、私はこのような結論に達したのでした。五〇平方メートル程度の広さの犬舎で一四、五匹の犬が平和に食事をする光景を見るにつれ、それが、彼らが幼少期に、犬という「種」の命ずるところに従って、食事を巡り、時代遅れでしかも非社会的な争いを充分おこなった結果であると考えるのです。もし、この考えが正しくないとすれば、子犬の時は兄弟と餌の奪い合いをして恐ろしげに唸っていたある雄犬が、なぜ父親になると、先ず授乳中の母犬に食事を取らせ、ついで子犬たちが満腹するまではほかの犬たちを食物に近づかせない、といった良心的態度をとることができるのか説明がつかないことになります。
だからこそ、仲間と.緒に食事をしなかった子犬は一生食物に意地汚く、成犬になってもためらい無しに自分の子人の食物を奪ったりするのです。
進化の過程で完全に消滅せず、動物の幼少期に発現するある原始的な行動は、幼いうちに充分発散されなければいけないのです。そうしないと、後になって面倒を起こす要因になってしまうでしょう。
獲物に対する態度についても同じことがいえます。ある時は遊びとして、ある時は真剣な形で現れる獲物の捕獲行動は、この時代から徐々に観察されるのですが、それについてはここでは述べず、次章の主題としましょう。
この章では、八〜一二週目に見られる、「社会性を身に付ける」行動形態について説明します。
まず、この時期になると、戦闘遊戯の回数はより頻繁になり、その行為は断片的な争いではなく、種々の行動形態が入り交じって複雑になってきます。この時期では、立場が入れ代わる場合はありますが、必ず、勝者と敗者に立場がはっきり分かれ、本能的なものに加えて経験から得た、攻撃を抑制する行為が現れてくるのです。激しい争いの中で、一匹が相手の身体の敏感な部分を強く噛み過ぎたとします。すると、噛まれた犬は防御反応を見せ、悲鳴を上げ、相手に度が過ぎたことを知らせるのです。噛んだ犬はこれにより自分の力の程度が判り、それを制御する方法を学ぶのです。この段階で、子犬に対し、我々の手は鉄でできているのではない、ということを充分教え込めば、将来、犬は手加減して遊ぶようになります。これを学んだ犬は、我々が生まれたばかりの子犬ででもあるかのように、手や足を優しく噛むようになるのです。
このようにして、戦闘遊戯を通じ、社会的絆を弱めないように、同属に対する危害を避けるような態度を身に付けてゆくのです。次の成長段階、「階級を意識する時期」になると、この社会的な意味を持つ抑制心には特別の役割が与えられることになります。

これ以外に、父犬によっておこなわれる集団遊戯もよく見られます。これは逃亡する獲物を追う狩猟ゲームで、父犬が獲物の役割を演じてやります。彼は自分を追いかけるように子犬を仕向け、段々と策略を巡らし、追跡をむずかしくしてゆきます。しかし、最後には大体捕まって、降参してやるのです。
この時期までの子犬たちはほとんど完全な自由を謳歌でき、何でも許されましたが、この段階になると父犬は徐々に厳しい規律を押しつけてきます。子犬たちの体力、勇気を試す行為は、同時に秩序を打ち立てる目的を持ってくるのです。遊戯を始め、終わらせるのを決めるのは父犬であり、大変精力的な態度で自分の意思を貫きます。
彼は「触れてはいけない物」を決め、常時それを見張っています。たとえば、古い骨をタブーとして指定するのです。最初、子犬たちは言いつけを無視しようとしますが、途端に物凄い勢いで罰せられます父犬は子犬の首か背中の皮をくわえ、強く振るのです「罰せられた子犬は叫び、放されると同時に背中を下にして引っくり返り、服従の態度を取りますが、ちょっと時間か経ち、父犬がほかのことをやっていると判ると、その子犬はまだ規則が生きているのか調べるため、非常に慎重な態度で、再度タブーとされている物に近寄ります。
しかし、今回も罰を受けてしまうのです。同じことが何度もくり返され、それはあたかも、父親が常に一貫性を保っているかを子犬が調べようとしているかの印象を与えます。
子犬を飼っている人は、自分が常に試されていることを認識すべきでしょう。しかし、子犬はこのやり方でなされる罰をきちんと理解し、それが父親の権利であることを認め、すぐに深い親愛の情を示します。罰せられた子犬は父犬に友好的な態度で近寄り、鼻面で押したり、口を嘗めたり、前足を出したりして愛情を表すのです。
まるで、「お父ちゃん好きなようにしていいよ。頼りにしているんだから」と言っているかのように見えます。なぜなら、父親の権威への絶対的服従こそが「種」の存続を保証するものだからです。
もっとも、これは犬に限った話ではないのでしょうが!

このように、社会的行動、特に両親との結びつきは遊びを通じ現れるのです。このことは我々にとっても大きな意味を持つに違いありません。というのは、まさにこの時期にこそ、犬と人間の絆を構築しなければならないからなのです(欧米ではこういった理由から、一般に七週目に子犬を入手するのが最適といわれています)。もし、飼い主がそれをしないと、子犬は人間よりも同属の犬に対し強い絆を持ってしまいます。
遊んでやる時は、子犬にとって遊戯が、対等の立場に立ったお互いの喜びである、と受け取れるようにしてやらなければなりません。犬が我々の望む行動を取った時に与えられる褒美、あるいは愛撫は、彼がタブーを犯した時に受ける罰(首の皮をつまんで振り回す)と同じく子犬の心に焼きつけられます。通常はこれらを何度かくり返す必要が生じてきます、というのは、子犬は自分の教育者である飼い主の一貫性を常時試そうとするからです。
重要な点は、我々ができる限り子犬と遊んでやることなのです。人との遊戯が楽しければ楽しいほど、学習は楽しみと受け取られ、犬は学ぶことに喜びを感じるようになります。この段階では、常時学習の喜びが存在しなければいけないのです。
人間との接触を通じ、子犬の自信を深めさせてやる必要もあります。したがって、規律を守らせる手段は犬にとって容認できる範囲であるべきなのです。子犬が必要な罰を受けても、恐れて飼主を避けたりせずすぐに愛情を示してくるありさまが確認される程度の罰でなければならないのです。我々も次の原則を守らなければいけません。罰は、明白に犬か掟を破った場合に限る、と。犬が犯した罪と罰を結びつけられるように、罰が、罪を犯したと同時にあたえられるべきことは当然です。すなわち、父犬の真似をして、この時期においては、常に子犬を見張るべきですし、もしそれができないのなら、子犬がタブーを犯せない場所に入れておかなければなりません。もちろん、子犬を長時間一匹にしておいてはいけません人か何かの行為をしでかした後で叱るのは、もう少し成長して、彼が過去の行為と我々の不満を結びつけることができるようになるまで待つべきで、しかも非常に慎重な態度が必要なのです。たとえば、犬の鼻先にひきちぎられた本を持ってゆき、犬が後悔の表情を示したとすれば、それは成功しているのです。なぜなら、犬は自分の罪状を極めて明白に表現するので、犬の行動について何の予備知識がなくとも、それが判るからです。ただ、注意が必要なことは、犬をその各々の性格に応じ、強く罰するか、穏やかに罰するかの問題です。すべての子犬たちは同一ではありません。ある犬には強い罰が必要でしょうし、別の犬には優しいたしなめで充分なのです。

訳注
赤太字部については欧米において必ずしも統一された見解とは思えない、犬は壊された本に腹を立てた飼い主の表情を見て恐れ、あたかも自分が悪かったと受け取られるような服従の態度を示す、という解釈がむしろ一般的である。結局のところ、犬がどう受け止めているかは確認できないのであるから、過去の行為に対する言葉による軽い叱責は許されるとしても、強い罰は、その行為の最中にのみ限られるべきであろう。


罰についての考え方は大変広範なもので、低い、あるいは大きな声で叱ることから、強いビンタを食らわせたり、ゆすぶったりするものまであります。このいずれを取るかは飼い主が自分の犬の性格に応じて決めるべきであり、罰はこうでなければならない、といった原則はないのです。
子犬に我々の望む行為をさせようとするなら、それは褒美によってのみ実現されるのです。たとえば、ボールを持ってこなかったとしても罰してはいけません。むしろ、遊びを止めてしまうべきで、もし、ボールを初めて持ってきたらうんと褒めてやることです。
小さな子犬にとって、自分の保護者との遊びはこの上もない喜びなのです。彼らは、自分がくたびれるまで飽きずに遊び続け、最後にのびてしまうのは、大体、人間のほうです。

さて、この年齢の子犬にとって、遊びの中止は規律に従うことなのです。ですから、犬が何かよくない行為を犯したなら、これを利用できます。そういう機会は容易に見つけられるでしょう。また、遊戯を止める時、ボールをうんと遠くに投げてやることもできます。
犬が一生懸命探している問、我々は平穏に過ごせるというわけです。しかし、たまたまであるにせよ、犬が飼い主の手元にボールを持ってくる場合もありますが、この時を逃してはなりません。我々が喜んだ様子を示し、遊びを続けてやれば、犬は自分の行為と遊びの続行を関連づけるでしょう(もっとも、六週目の子犬がこれをやらなかったとしてもがっかりしてはいけません)。
このようなやり方をすれば、我々がしつけとか訓練と呼ぶ、犬と飼い主の共同行為は犬にとって喜びと感じられるようになるのです。犬がある行為をした時、飼い上が喜びを表明し、同時に、それが犬にとって幸せな出来事と結びつけられれば、時が経ち、犬が充分な成長を遂げても、学習は喜びになりうるのです。人間が教育者として、あるいは社会生活のパートナーとして果たすべき役割はここにあり、これによってのみ、意義のある、そして安定的な犬と人間の群れというものが作り出されるのでしょう。
よく犬の性格が弱いといわれる場合がありますが、これはしばしば、この「社会性を身に付ける時期」におけるしつけの失敗に起因することが多いのです。犬と充分遊んでやらず、ともかく「鍛える」ことに主眼を置く……。沢山の人が、犬は荒々しい檸猛な狼であると考え、自分はライオン使いであると思っているかのようです。これは二重の意味で誤っています。まず、大分以前から猛獣使いは、自分の鉄の規律を猛獣に押しつけるのではなく、感受性の豊かな動物の友達となるようにしていますし、巨大な猫たちからは、彼らが働く喜びを持たぬ限りよい結果を引き出せないことをよく理解しているのです。第二に、荒々しい檸猛な狼などは存在せず、彼らは愛らしく、人に危害を加えたりはしないものなのです。もちろん、彼らは自然の命ずるところに従って、草食動物の欠陥ある個体を間引
き、過剰繁殖を防ぐ行動をとります。少なくとも犬においては、自分が生き延びるために、人間にとっても模範となるような社会生活を発達させており、喜んで我々と共同生活を共にするのです。子犬たちが杜会性を身に付ける衝動を持つ時期に、この事実をよく認識せず、生来の衝動を助けてやらない人間は、犬に対して罪悪を犯しているとすらいえるでしょう。
この時期に誤った取扱いをして、不信の念を植えつけると、事実上、一生取り返しがつかないことになります。癒すことのできない闘争の衝動は、一生を通じ、犬の精神に深く刻みこまれてしまうのです。間違ったやり方で幼年時代を送った犬の将来がどうなるかははっきりしています。多くの場合は獣医の注射が目茶苦茶にされた犬の一生に終末をもたらすのです。理性を持った人が、並々ならぬ苦労をもって犬の面倒を見てやり、ついにその犬が自分の最終的な家庭を見つけ出す場合は極めて稀であるというべきでしょう。
犬とは、本能がすべての鍵を握る動物ではない、と何度述べても充分過ぎることはありません、犬を理解するには、生まれながらの行動形態を学ぶだけでは不充分なのです。さらに重要なのは、生来備わった学習能力のある一定時期における可能性を分析し、子犬と両親の関係を観察し、異なった時期における父犬ー子犬の関係を学び、子犬の個性が何によって、またどういう具合に形成されるのかをよく認識する態度です。
犬とは、まぎれもなく「学習する動物」であり、その社会性の発達を研究し、それから得られたものに注意を払わなければなりません。「社会性を身に付ける時期」における、犬と人間の係わりの広さと程度こそが、犬の一生を通じ、その性格に決定的な刷り込みをなし遂げるのです。

(訳注)
犬を薬殺せざるをえない最大の原因は噛咬問題である。日本においては残念ながら、未だに、「噛む犬を殴る」ことを勧める訓練士も多いし、著述にも出会う、これこそが、わが国の飼い犬文化の後進性を如実に示しているのである。臆病に生まれ、人間に対し充分な社会化がなされなかった犬が、人手を恐れ、噛むことは容易に想像できる。その犬を殴ればどうなるであろう?犬の人間を恐れる傾向はますます強まり、更に噛む犬になることは明白である。このような犬に対しては、一切の体罰をさけ、忍耐強く、「人間性善説」を植えつける以外に解決策がないのである。


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2005年11月24日

ビビリの犬とのくらし方 その6

ここまで書き進んできたところで、我が愛犬ポセイドンについて述べようと思う。
ポセイドンがどの時点でビビリになったのか?恐らく、預かり宅で病気になった時に隔離されていたせいだと思う(預かりボランティアの名誉のために言っておくが、あくまで予防的措置であったと聞いている、またその当時預かりボランティアに行動学的知識が無かったとしても彼女の責任ではない)。その4に書いた移行期からその5に書いた刷り込み期かけて犬との接触と預かり家族以外の人間との接触が極めて少ない状態になってしまった。また、外界をかいま見ることも無かったと思う。
その結果、極限られたパターンの人間と部屋の中だけに安全を感じる犬に育ったようだ。またポセの身体的特徴から見て取れるように、日本犬(柴犬)の血が入っているようでもある。日本犬は一頭飼いで尚且つ外に繋いで飼われることが長く続いた犬種だ。そのため日本犬は人なれが悪く、犬慣れが悪い(群れでの行動が薄れている)などの特徴がある。
その傾向もポセにはあるようだ。

蛇足・・・単独で仕事をする犬種例えば ダックスフンド、各種のテリア
などにも同じ傾向が見られると言われている。猟犬、使役犬はその仕事の特性を理解したうえで手に入れるべきであるし、また仮に飼い始めたときにはそこのところを理解しておく必要があると思う。

ポセイドンも1歳をこえた。臨界社会化期もすり込み期も過ぎてしまった犬にはチャンスはないのだろうか?
答えは困難ではあるが大きな可能性が残されている。
適切な知識と指導のもとに行なわれる脱感作(だっかんさ)がもっとも安全且つ効果的である。

脱感作トレーニング

正式には系統的脱感作法といい、人間の様々な恐怖症の治療にも用いられている方法です。
このトレーニング方法は犬に負担がなく、問題行動の多くはこの方法で解決します。

【音に対する恐怖の脱感作】

まず恐がる音(雷、花火、バイクの音、子供の声、掃除機の音等)を録音し用意します。
今はweb上でも様々な音源がダウンロードできますし、
アリバイCDや効果音CDなんていう物も出ていますからレンタル屋さんで借りてくるのも手ですね。

★犬が恐がらない程度の音量で音を流します。
  
  この時、ただ流すのではなく、犬が楽しくリラックスできる環境を用意してあげましょう。
  犬の反応を見るためにも、遊びながらや食事の際というのが理想です。
  
★徐々に音量を上げ慣らしていきます。

  少しでも犬が怯える素振りを見せたりしたら即、音量を下げること。
  犬の許容範囲を見極めるのが、このトレーニングのツボです。


【人に対する恐怖の脱感作】

これはもう1人(以上)の誰かの協力が要ります。
お婆さんを恐れるならお婆さん、ヒゲ顔のオッサンが恐いならそういう容貌の人にお願いします。
家族の中で「俺に(私に)だけなつかない。」という人がいれば仲良くさせるチャンスです。

★犬がリラックスできる環境で行いましょう

 外が好きな子は屋外で、お部屋の中が落ち着く子は室内で行います。

★協力者には最初は無視をお願いする

 犬と目も合わさず、声もかけず、出来れば背中か横を向いて座った姿勢をとってもらいます。
 犬が緊張しない距離をとります。
 「お前に関心はない。だから危害も加えない。」と判らせます。

★少しずつ距離を縮めて行きます

 ここで大切なのは一日で克服しようと思わない事!
 犬の恐怖心の度合いは個体によって違います。
 恐いと思い込んで過ごしてきた期間も違います。

★距離が1メートル以内に近づいても吠えたり逃げたりしなくなったら・・ 

 協力者にオヤツを持ってもらいます。まだ無視は続けます。
 犬が自分で近寄ったら目は合わせずにオヤツをゆっくりとした動作で与えてもらいます。
 最終的には触られても大丈夫になる事を目指しましょう。


【犬に対する恐怖の脱感作】

多頭飼いで同居犬には大丈夫でも外では吠えてしまう子。
社会化不足や自信のなさからの恐怖咆哮です。そういう子に一番良いのはドッグラン。
衛生上は決して良い場所とはいえませんが
バリア・フラストレーションもなく、いつでも飼い主さんのそばに逃げてこれる(自由)なので
犬が楽しまない、走らないからと言って行かないのはどうかと思います。
最初は空いている時間から始めるのが良いでしょう。
一日目は足元で尾を巻いて縮こまっていた子も、数日で飼い主さんとは遊べるようになるでしょう。
犬が沢山来る公園などでもOK。ただし、最初は犬の少ない時間帯からはじめましょう。
もし協力してくれる、温厚なしつけの入ったワンちゃんがいる場合は下記のように進めます。

★協力犬に横を向かせて座ってもらう

この時、協力犬のハンドラーには協力犬が視線をこちらに向けないようにしてもらいます。

★少しずつ近づいてみる

犬が反対方向に行こうとしたり、座り込んだり吠えようとしたら近付き過ぎです。
平静を保っていられる距離まで近づきます。
トレーニング開始時はUターンするように歩くのが良いでしょう。

★犬が平静でいられる距離でベート

食べ物が口に出来れば臨界点まで達していないという事になります。
そして、他の犬に出会うといい事があるとの関連付けにもなります。
これも一日で出来るとは思わないで下さい。

脱感作トレーニングで一番重要なのは急がない事です。

★距離を縮めて行く

最終的にはご挨拶(匂いを嗅ぎあう)が出来る事を目指しましょう。

脱感作トレーニングに関わらず、犬のトレーニングにおいて一番大事なのは

トレーニングのペースは犬が決めるという事です。

「犬の意思」を尊重してください。
無理強いは恐怖感や嫌悪感を強くするだけで何の意味もありません。
急ぎすぎず忍耐強く目標を持って継続すれば必ず進歩します。
恐怖心の強い子は自信のない子がほとんどです。
「うちの子は芸なんか出来なくていいの」とよく耳にしますが
芸を教える事によって沢山褒められ自信に繋がるなら教えた方が良い。
誰からも好かれ、誰と会ってもストレスのないワンちゃんにしてあげましょう。


*********お友達サイトからの引用***********


具体的には、散歩のときに”皆で行けば恐くない作戦”(犬一頭に人間3人)とか”いった場所には良い事が待ってるぜ!作戦”(犬にとって楽しい事ポセの場合は森の中の散策)しかし、一番は犬に一番好きな食べ物を用意してそれでつる事である。

犬は食べるために試行錯誤する動物である。


美味しいもののためなら勇気もわくものらしい。

ニックネーム ポセイドン at 22:31| Comment(4) | TrackBack(5) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビビリの犬とのくらし方 その5

犬の行動学 エーベルハルト・トルムラーより


刷り込み期(四〜七週)

この時期になると、子犬の五感は発達し、気がついた物を、鼻、耳、目で確かめ、それがなんであるかをつきとめることが段々できるようになります。彼らは緊張した面持ちで周囲の動静を観察し始めます。この数週の間に運動神経は非常な発達を遂げ、遊びを通じて、速さ、柔軟さ、確実性を身に付けてゆきます。七週目の終わりになっても、大型で鈍重な純血種は、同じ年齢の小型犬、あるいは非常に早熟なディンゴ、ジャッカルと比べ、まだぎごちない動きを見せます。また、睡眠時間は短縮され、運動の要求が強まるにつれ、身体も大きくなっているのです。
歯列の発達にともない、子犬たちは両親の食物に深い関心を示し、彼らからそれを奪う権利すら持つようになります。雄でさえも、子犬が自分の口から食物を引っ張り出すのを平気で受け入れるのです。最初はもちろん、肉を噛むだけですが、まもなく小さな肉片に切り裂き、飲み込むことを覚え、くるみ程度の大きさの肉片であれば平気で貧り食ってしまいます。もし、欲張り過ぎて大きなかけらを飲み込んでしまった場合は静かな隅のほうへ引き下がり、一度吐き出し、改めて食べなおすのです。
もちろん、通常の場合子犬たちは、この時期の終わりまではまだ授乳期にあります。なお、家畜化を追求した結果、通常よりも数週間も長く乳を出し続ける「乳犬」というべきものまで出現しています。

さて、最初のうち、母犬は巣の内部で授乳しますが、子犬が外出するようになると、巣の外で、寝そべってではなく座って乳をやったり、最後には立ったままで授乳したりします。しかし、子犬たちの飽くことのない騒々しさに辟易すると同時に、尖った歯が乳首に対する拷問の道具になってくると、母犬は子犬たちを避けるようになります。子犬が近寄れない場所が見つからないと母犬は唸って彼らを追い払います。
この時期になると,両前足で乳首の回りを押さえるという子犬の動作は徐々に消滅し始めます。母犬が立ったままで授乳する場合、子犬は片方の前足で体重を支えなければならず、残りの一本の前足でしか乳首を触ることができません。私は前著において、乳首の回りを押さえる動作はやがて、片前足を出して仲間をなだめる動作に変貌すると説明しました。いずれにせよ、この段階で、子犬たちのいろいろな社会的行動が観察され始めます。嬉しさのあまり興奮したり、懐かしがって尻尾を振る、尻尾を股に挟み、恐怖や不安を表明する、また、既に述べたように、友好と愛情の印として口角を嘗める、などです。子犬たちは食物のかけらの取り合いを真剣になって始め、毛を逆立て、耳を寝かせ、口角を後ろに引き歯をむき出し唸ったりします。
いまだに母犬、巣に対する結びつきは非常に強いのですが、子犬たちは以前より巣から遠く離れようとし、その傾向は両親について行ける場合は特に強まります。しかし、両親が最初は三〇メートル、少したって五〇メートルも巣から離れると、子犬は迷う様子を見せ、結局、巣に戻るほうを選びます。
この段階では好奇心と学習したいという衝動が何よりも大きな特徴となります。すべてのものが探索の対象となり、触れるものを手当たり次第噛んでみるようになるのです。これは、人間の子供があらゆる物を口に入れたがるのと同じ現象です。
さて、今こそ学習するための準備が完了し、食物の摂取、社会的行動の領域で迅速な成果が現れてきます。我々は、この時期のこれらの社会的行動こそを注意深く観察すべきなのです。一般論として、それぞれの社会的行動は独特なものであり、あることはある決まった時期に学ぶプログラムが、自然によって作られているのです。言い換えれば、あることは、それに適した時期に学ばれなければいけないのです。私の観察したところによれば、ある子犬がこのように定められた一定の時期に学ぶべきことを学習できないと、それに関する行動に異常が現れる可能性が極めて高く、最悪の場合は、学習能力の一部が完全に麻痺してしまいます。更に、犬と人間の将来の関係の点から考えると、この学習能力はさらに磨きをかけられなければならないのです。
この数週間の間に、子犬は、あらかじめ自然から与えられたいろいろな学習能力を、それに適した厳密な時期に最大限に発揮し、それが犬の一生の経験を決定づけてしまうのです。
つまり、この時期に学ばれなかったことは一生取り返しがつかなくなります。このように、ある厳密な時期にある決まったことを学習する現象を我々は「刷り込み」と呼んでいます。犬と人間の将来の関係はこの刷り込みにかかっているのであり、このことについては現在までに相当正確な分析がなされています。
もしこの時期に毎日充分手で子犬に触れてやれば、彼らは人間との接触を大変好む犬になります。逆に、その機会を少ししか与えないと、人間にあまりなつかない犬になってしまうのです。万一、この時期に人の臭いを嗅ぐ機会をまったく与えないと、仮に、七、八週間目以降にいかに努力してもまったく人間と接触を持てない犬になります。我々のできることといえば、犬を若干扱いやすくする程度のことでしかなく、もし、我々がこのような犬に対してちょっとでも取扱いを誤ると,犬は「恐怖による噛咬」癖を持ってしまうのです。
この点についてはいろいろな経験があります。まず、子犬が毎日人を見る、あるいは、子犬が人手から直接餌を貰う、ということでは不充分なのです。子犬が直接人から触れられる必要があり、嗅覚が重要な役割を果たします。もし、子犬が一人の人間しか知らないと、成長してからほかの人の前で落ちつかず慣れないのです。逆に、大勢から愛撫を受けた子犬は将来人々のいる所で元気一杯ふるまうし、喜んでそれらの人たちと付き合うことが判っています。
犬は経験をまったく持たぬままこの世に産み落とされ、五感の発達しない一八日目までは犬というものを認識できないのですから、ある時期に、しかも決定的な方法で、犬とはどういうものか、を植えつける作用が必要なことになります。したがって、この刷り込み時期に、人間が頻繁に現れ、子犬が自分の両親,兄弟に対するのと同様にその臭いを嗅げれば、人間も子犬と同じ「種」の仲間として子犬に刷り込まれるのです。
他の行動学上の体験として、フォックスはこの棚り込み現象がいかに厳密なものであるかを述べています。彼はチワワの子犬数匹を子猫に混ぜ、雌猫に養わせました。子犬たちは当初、猫によって刷り込みを受けてしまったので、しばらくして正常な環境で育てられた子夫たちと出会ってもどうしてよいか判らなかったそうです。
もちろん、このように誤った刷り込みを受けた犬も、時間がたてばほかの犬が自分と同じく犬であると判るでしょう。犬は嗅覚が非常に発達していますから、自分の臭いとほかの犬の臭いの共逓点を見出せるので、この場合、刷り込みの役割は決定的ではないと考えられます。こうした臭いは彼にとって、異質でも、危険でも、不快なものでもないので、犬は障害を乗り越えることができるのです。
今まで私が観察したところによると、刷り込みは食物の選択にも大きな役割を果たします。この時期に生肉を貰わなかった犬は成長してからそれに慣れるのが非常に困難となるのです。もちろん、いずれは馴染むでしょうが……。経験ある親犬は犬に消化できるものしか受け付けないように子犬たちを仕向けます。したがって、両親から与えられた食物の刷り込みを受けた子犬は、たとえば毒茸を食べる危険を冒さず、既に味わったことのあるもの、すなわち、刷り込まれたもののみを食べるようになる、というわけです。
この一定の時期において、いろいろな学習項目を数えあげることが可能ですし、それらを正確に知ることが子犬のしつけに大きな意味を持つはずです。もしこの可能性を過大評価しないとしても、飼い主が「犬というもの」、つまり犬の生まれながらの性質と呼んでいるものの相当多くの部分が、この時期に影響を受け、その環境により変化することが大いにありうるのです。
この意味から、完全な野生状態における犬の群れの形を残した環境の中で子犬がいかに成長するか、とりわけ、それに果たす父親の役割を観察することが極めて有用であると私は考えているのです。子犬たちが六〜七カ月齢になると、彼らは両親にとって、群れの中の頼り甲斐のある同僚となることを忘れてはなりません。
私の犬舎では、この刷り込み時期を通じて、両親が子犬に対し極めて寛大で大きな自由を与えていることが観察されます。父犬は辛抱強く子犬と遊んでやります。当初相当乱暴な態度を見せるのには、子犬の耐久性を試す意味もあるのかもしれません。しかし、この行為の本来の意味は、子犬が将来本当に傷つけられてしまうようなことが起こる前に、「なだめの儀式」を早いうちから学ばせておくことにあるのでしょう。
実際、子犬はこの儀式を非常に早く身に付け、驚くべき賢さをもって実際に試すのです。次のような大変面白い光景を見ることもできます。休んでいる父親の前に近づいた一匹の子犬が、前足を出すと同時に恐怖の叫び声を上げる(これらの行為は攻撃の抑制をするためのものです)ついで、電光の如き早業で父親の鼻を噛み、走って逃げる……まさに、笑いながら、と付け加えたいところです。
このやり口を大人の犬から餌を盗む時にも用います。成犬が驚いた顔をして子犬の挙動を眺めると、子犬は肉片を奪い取り、大急ぎで逃亡するのです。もちろん、これも社会的行動の内の二面です。
このような、あるいはこれと似た行為を通じ、子犬は父犬に対し非常に強い信頼の念を持つようになりますし、父犬は徐々に子犬たちをしつけ始めるのです。この現象は、刷り込み時期の最後の頃から見受けられるようになります。父親は子犬たちが余りうるさいと唸り、追い払います。もし犬舎に、以前に同じ両親から生まれた年長の兄、姉犬などがいると、もっと面白い光景が見られます。兄、姉犬はこの時期の恰好の遊び相手なのですが、遊びの度が過ぎて余りに激しぐなると父犬が介入してその場で悪者を懲らしめます。そして同じやり方で父犬は、子犬たちの食事が終わるまで、ほかの犬が食物に近づかぬように見張っているのです。なお、この時期はまだ授乳中の母犬には優先権が与えられていることも付け加えておきましょう。
この時期についての解説を終える前に、父、子犬の関係がどのように確立するのかをよく示す例を二つ挙げましょう。

私は血族交配の結果、突然変異で生まれた毛色の明るい雌ディンゴ、アルタを、これまた明るい毛色の一歳年下の弟犬アルテユスとめあわせました。分娩の直前にアルタを分娩所に入れ、そこで彼女は遺伝の法則に従って、銀色の毛並みのディンゴ、すなわち明るい色の子犬を六匹産み落としました。私はそのうちの五匹を残しておき、彼らを七二日目に母犬と共に雄犬の犬舎に移しました。
結果は驚くべきものでした。アルテユスは直ちに一匹の子犬を噛み殺しましたが、ついでアルタに頑強に抵抗され、ほかの子犬を攻撃することはできませんでした。しかし、とうとうほかの一匹も酷く傷つけたので、最終的に私はその子犬を安楽死させざるをえませんでした。結局、私は子犬たちを犬舎から出さなければならなかったのです。
次回の分娩は雄犬の犬舎でおこなわれ、今回、アルテユスは正常な父犬としてふるまいました。父親なしで育てられた子犬たちの行動には明らかに何らかの欠陥があり、それが父犬の突然の攻撃を引き起こしたのでしょう。この殺された子犬に関し、二つ付け加えることがあります。まず、一〇週間の間、子犬たちは沢山の人手に触れられ、自分を取り巻く環境に対する不信の念は一切抱かずに過ごしました。第二に、この環境に、グレート・デンの雌サンドラ、ドイツ・シェパードの雌ラナという、とりわけ優しい犬たちを参加させてありました。ということは、子犬たちはほとんど例の「なだめの儀式」を実施する機会がなかったことになるのです。
第二の例を挙げてみましょう。以前分娩所にシドニーという雌ディンゴとその子犬五匹を一二週問置いたことがあります。この間、私は子犬に殆ど触らなかったので、彼らは人間に対して刷り込みがなされず、格子に手を差し延べても嘗めることすらしませんでした。また、犬同士の態度は極めて荒々しいものでした。ついで判ることなのですが、一二週の終わりには彼らの成熟度は相当進んでいたのです。したがって、ほとんど三カ月に近い子犬たちを母親と一緒に父犬パロの小屋に入れた時、かれらは父親に対し、当初うまくなじみました。しかし、そうはいっても、子犬たちは生意気で父犬の権威を受入れる素地がなく、父犬は自分の父親としての役割を果たすのに難渋していることが観察されました。そして、その犬舎には争いが常時起こるようになり、全員が苛立ってきたのです。というのは、パロは不服従を我慢できず、争いの度に精力的に介入せざるをえなかったからです。
正常な犬の家族に見られる、愛情に満ちた友好的な様子はここでは見られませんでした。
次に、私はこれら二つの例を通じ、全体をよく見ないと、安易に物事を断じてしまう危険があるということを説明したいと思います。動物に関する観察において、我々が綿密な検証よりも、先入観念に頼りやすい、という事実を指摘したいのです。私の頭にあるのは、たとえば、映画産業の産物「ラッシー」によって人々が抱く、利口で慎重に行動する犬の姿が、いかに事実からはかけ離れているかというようなことです。さて、私がほかの多くの経験から、「移行期から刷り込み期の終わりまでに父犬と生活しなかった子犬たちは精神的に異常に育つ」ということを知っていなかったなら、次のことを補足すると、前の一例の説得力は台無しになっていたかもしれないのです。
実際、パロは正常な環境で育ち、その時までに二回も子犬を育てた経験がありました。
ところが、アルテユスはまずひとりっ子でしたし、私はこの犬を四ヵ月の時両親から引き離したので、彼は 歳上のアルタと一緒になる前は、しばらくの間一匹で暮らしていたのです。アルタは成犬でしたし、アルテユスは若く、常にアルタの命令に従っていました。
少し経ってから、彼も自己主張を始めましたが、アルタのほうが利口で彼を酷く痛めつけたので、時にはアルテユスが血を流し、足を引きずり、尻尾を股に挟むようなことさえ起こりました。状況が改善されたのはアルタが発情してからです。こうなれば、雄犬も当然しかるべき役割を持つことになります。
疑いもなく、生活の特殊環境がこの雄犬の行動を最初から多少異常にしてしまっていたのです。また、交尾の後、彼は一一週間以上一匹で過ごさねばならなかったので、またしても雌の尻に敷かれることとなってしまいました。
しかし、これがすべてではありません。もつと重要なことは、ディンゴの雌犬というのは、よその子犬を好まないことです。これはおそらく、厳しい自然においては、自分の子供と競争関係にある生物を容認できないという性質からくるのでしょう。さて、アルタとアルテユスとが余り友好的でない同居をしていた時代に、彼らの住まいの隣に別の犬舎があり、何匹かの子犬が住んでいました、子犬たちは父犬なしで育てられ、ディンゴを信頼し、一緒に遊びたがりました。ところが、アルタはまったく別の考えを持っており、格子越しに数匹の子犬を噛み殺してしまったのです。性格形成においてアルタからもある程度影響を受けているアルテユスは、この残忍な虐殺に加担しました。
以上が事実関係のすべてであり、ここからいくつもの教訓が読み取れます。私の最初の著作を読まれた読者はおそらく、どうして私が当時、「健康で精神的欠陥のない雄犬は子犬に危害を加えることはない」と断言できたのか疑問に思われるでしょう。以下が答えなのです、一度目の出産時にその行動が完全に正常であったものの、本来アルテユスは健全な精神を持った雄犬ではなかったのです。けれども、もう一言付け加えましょう。二回目の出産時にアルテユスが初めて鼻を巣に突っ込もうとした時、アルタは大変見事なやり口で叱りつけ、ついで彼に、子犬たちは彼の子供なのだとはっきり判らせたのです。よく観察してみると、彼は父親としての役割を正常に、しかも能率的におこなっていましたが、常にアルタの厳しい監視の下にありました。さて、正常な犬の家族においては、雄のしつけによって子犬が悲鳴を上げても、雌犬は耳をピクリとも動かさず、完全に無関心です。
なお、その後の出産時に、アルテユスは再び面倒を起こしたのでした。
以上の説明から、犬を観察するにあたっては、誤った結論に導かれる危険が充分にある、ということと、犬の行動は、その個体の刷り込みにどれほどまでに影響されるものか、をお判りいただけたと思います。私は、私宛に自分の犬の行動をことこまかに書き送って、それについての意見を求める人々を頭に思い浮かべているのです。その問題となっている犬が幼い時、どんな個々の状況に置かれて成長したのかを私が知らない限りは、到底、答えを出すことなどできるはずがありません。
さて、私にとっては以下のことは疑いの余地がありません。子犬には最初の一年間にさまざまな要素が刷り込まれ、その影響は生まれながらの性格に優先する場合すらあるのです。しかし、いずれにせよ、我々が、若い犬の発育過程において、その精神構造を変化させるようなすべての要素を知りつくさない限り、犬の生来の性格を判断することなどはできないのです。そして、それを知れば、犬の今後の成長をよく観察することが可能となるということです。
訳注
よくこの犬種はどういう性格である、との議論が安易になされるが、犬の性質については、
犬種による普遍的傾向、それぞれの犬の血統の持つ傾向、個々の固有の遺伝要因、最後に
ここで詳述されている生まれてからの環境、のすべてを考慮に入れないと正しい判断は不
可能であろう。とかく日本においては生後の環境の影響が軽規されているように感じられ、
著者の研究が、わが国の繁殖、訓練界の参考となることを期待したい。


ニックネーム ポセイドン at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする