2005年11月24日

ビビリの犬とのくらし方 その5

犬の行動学 エーベルハルト・トルムラーより


刷り込み期(四〜七週)

この時期になると、子犬の五感は発達し、気がついた物を、鼻、耳、目で確かめ、それがなんであるかをつきとめることが段々できるようになります。彼らは緊張した面持ちで周囲の動静を観察し始めます。この数週の間に運動神経は非常な発達を遂げ、遊びを通じて、速さ、柔軟さ、確実性を身に付けてゆきます。七週目の終わりになっても、大型で鈍重な純血種は、同じ年齢の小型犬、あるいは非常に早熟なディンゴ、ジャッカルと比べ、まだぎごちない動きを見せます。また、睡眠時間は短縮され、運動の要求が強まるにつれ、身体も大きくなっているのです。
歯列の発達にともない、子犬たちは両親の食物に深い関心を示し、彼らからそれを奪う権利すら持つようになります。雄でさえも、子犬が自分の口から食物を引っ張り出すのを平気で受け入れるのです。最初はもちろん、肉を噛むだけですが、まもなく小さな肉片に切り裂き、飲み込むことを覚え、くるみ程度の大きさの肉片であれば平気で貧り食ってしまいます。もし、欲張り過ぎて大きなかけらを飲み込んでしまった場合は静かな隅のほうへ引き下がり、一度吐き出し、改めて食べなおすのです。
もちろん、通常の場合子犬たちは、この時期の終わりまではまだ授乳期にあります。なお、家畜化を追求した結果、通常よりも数週間も長く乳を出し続ける「乳犬」というべきものまで出現しています。

さて、最初のうち、母犬は巣の内部で授乳しますが、子犬が外出するようになると、巣の外で、寝そべってではなく座って乳をやったり、最後には立ったままで授乳したりします。しかし、子犬たちの飽くことのない騒々しさに辟易すると同時に、尖った歯が乳首に対する拷問の道具になってくると、母犬は子犬たちを避けるようになります。子犬が近寄れない場所が見つからないと母犬は唸って彼らを追い払います。
この時期になると,両前足で乳首の回りを押さえるという子犬の動作は徐々に消滅し始めます。母犬が立ったままで授乳する場合、子犬は片方の前足で体重を支えなければならず、残りの一本の前足でしか乳首を触ることができません。私は前著において、乳首の回りを押さえる動作はやがて、片前足を出して仲間をなだめる動作に変貌すると説明しました。いずれにせよ、この段階で、子犬たちのいろいろな社会的行動が観察され始めます。嬉しさのあまり興奮したり、懐かしがって尻尾を振る、尻尾を股に挟み、恐怖や不安を表明する、また、既に述べたように、友好と愛情の印として口角を嘗める、などです。子犬たちは食物のかけらの取り合いを真剣になって始め、毛を逆立て、耳を寝かせ、口角を後ろに引き歯をむき出し唸ったりします。
いまだに母犬、巣に対する結びつきは非常に強いのですが、子犬たちは以前より巣から遠く離れようとし、その傾向は両親について行ける場合は特に強まります。しかし、両親が最初は三〇メートル、少したって五〇メートルも巣から離れると、子犬は迷う様子を見せ、結局、巣に戻るほうを選びます。
この段階では好奇心と学習したいという衝動が何よりも大きな特徴となります。すべてのものが探索の対象となり、触れるものを手当たり次第噛んでみるようになるのです。これは、人間の子供があらゆる物を口に入れたがるのと同じ現象です。
さて、今こそ学習するための準備が完了し、食物の摂取、社会的行動の領域で迅速な成果が現れてきます。我々は、この時期のこれらの社会的行動こそを注意深く観察すべきなのです。一般論として、それぞれの社会的行動は独特なものであり、あることはある決まった時期に学ぶプログラムが、自然によって作られているのです。言い換えれば、あることは、それに適した時期に学ばれなければいけないのです。私の観察したところによれば、ある子犬がこのように定められた一定の時期に学ぶべきことを学習できないと、それに関する行動に異常が現れる可能性が極めて高く、最悪の場合は、学習能力の一部が完全に麻痺してしまいます。更に、犬と人間の将来の関係の点から考えると、この学習能力はさらに磨きをかけられなければならないのです。
この数週間の間に、子犬は、あらかじめ自然から与えられたいろいろな学習能力を、それに適した厳密な時期に最大限に発揮し、それが犬の一生の経験を決定づけてしまうのです。
つまり、この時期に学ばれなかったことは一生取り返しがつかなくなります。このように、ある厳密な時期にある決まったことを学習する現象を我々は「刷り込み」と呼んでいます。犬と人間の将来の関係はこの刷り込みにかかっているのであり、このことについては現在までに相当正確な分析がなされています。
もしこの時期に毎日充分手で子犬に触れてやれば、彼らは人間との接触を大変好む犬になります。逆に、その機会を少ししか与えないと、人間にあまりなつかない犬になってしまうのです。万一、この時期に人の臭いを嗅ぐ機会をまったく与えないと、仮に、七、八週間目以降にいかに努力してもまったく人間と接触を持てない犬になります。我々のできることといえば、犬を若干扱いやすくする程度のことでしかなく、もし、我々がこのような犬に対してちょっとでも取扱いを誤ると,犬は「恐怖による噛咬」癖を持ってしまうのです。
この点についてはいろいろな経験があります。まず、子犬が毎日人を見る、あるいは、子犬が人手から直接餌を貰う、ということでは不充分なのです。子犬が直接人から触れられる必要があり、嗅覚が重要な役割を果たします。もし、子犬が一人の人間しか知らないと、成長してからほかの人の前で落ちつかず慣れないのです。逆に、大勢から愛撫を受けた子犬は将来人々のいる所で元気一杯ふるまうし、喜んでそれらの人たちと付き合うことが判っています。
犬は経験をまったく持たぬままこの世に産み落とされ、五感の発達しない一八日目までは犬というものを認識できないのですから、ある時期に、しかも決定的な方法で、犬とはどういうものか、を植えつける作用が必要なことになります。したがって、この刷り込み時期に、人間が頻繁に現れ、子犬が自分の両親,兄弟に対するのと同様にその臭いを嗅げれば、人間も子犬と同じ「種」の仲間として子犬に刷り込まれるのです。
他の行動学上の体験として、フォックスはこの棚り込み現象がいかに厳密なものであるかを述べています。彼はチワワの子犬数匹を子猫に混ぜ、雌猫に養わせました。子犬たちは当初、猫によって刷り込みを受けてしまったので、しばらくして正常な環境で育てられた子夫たちと出会ってもどうしてよいか判らなかったそうです。
もちろん、このように誤った刷り込みを受けた犬も、時間がたてばほかの犬が自分と同じく犬であると判るでしょう。犬は嗅覚が非常に発達していますから、自分の臭いとほかの犬の臭いの共逓点を見出せるので、この場合、刷り込みの役割は決定的ではないと考えられます。こうした臭いは彼にとって、異質でも、危険でも、不快なものでもないので、犬は障害を乗り越えることができるのです。
今まで私が観察したところによると、刷り込みは食物の選択にも大きな役割を果たします。この時期に生肉を貰わなかった犬は成長してからそれに慣れるのが非常に困難となるのです。もちろん、いずれは馴染むでしょうが……。経験ある親犬は犬に消化できるものしか受け付けないように子犬たちを仕向けます。したがって、両親から与えられた食物の刷り込みを受けた子犬は、たとえば毒茸を食べる危険を冒さず、既に味わったことのあるもの、すなわち、刷り込まれたもののみを食べるようになる、というわけです。
この一定の時期において、いろいろな学習項目を数えあげることが可能ですし、それらを正確に知ることが子犬のしつけに大きな意味を持つはずです。もしこの可能性を過大評価しないとしても、飼い主が「犬というもの」、つまり犬の生まれながらの性質と呼んでいるものの相当多くの部分が、この時期に影響を受け、その環境により変化することが大いにありうるのです。
この意味から、完全な野生状態における犬の群れの形を残した環境の中で子犬がいかに成長するか、とりわけ、それに果たす父親の役割を観察することが極めて有用であると私は考えているのです。子犬たちが六〜七カ月齢になると、彼らは両親にとって、群れの中の頼り甲斐のある同僚となることを忘れてはなりません。
私の犬舎では、この刷り込み時期を通じて、両親が子犬に対し極めて寛大で大きな自由を与えていることが観察されます。父犬は辛抱強く子犬と遊んでやります。当初相当乱暴な態度を見せるのには、子犬の耐久性を試す意味もあるのかもしれません。しかし、この行為の本来の意味は、子犬が将来本当に傷つけられてしまうようなことが起こる前に、「なだめの儀式」を早いうちから学ばせておくことにあるのでしょう。
実際、子犬はこの儀式を非常に早く身に付け、驚くべき賢さをもって実際に試すのです。次のような大変面白い光景を見ることもできます。休んでいる父親の前に近づいた一匹の子犬が、前足を出すと同時に恐怖の叫び声を上げる(これらの行為は攻撃の抑制をするためのものです)ついで、電光の如き早業で父親の鼻を噛み、走って逃げる……まさに、笑いながら、と付け加えたいところです。
このやり口を大人の犬から餌を盗む時にも用います。成犬が驚いた顔をして子犬の挙動を眺めると、子犬は肉片を奪い取り、大急ぎで逃亡するのです。もちろん、これも社会的行動の内の二面です。
このような、あるいはこれと似た行為を通じ、子犬は父犬に対し非常に強い信頼の念を持つようになりますし、父犬は徐々に子犬たちをしつけ始めるのです。この現象は、刷り込み時期の最後の頃から見受けられるようになります。父親は子犬たちが余りうるさいと唸り、追い払います。もし犬舎に、以前に同じ両親から生まれた年長の兄、姉犬などがいると、もっと面白い光景が見られます。兄、姉犬はこの時期の恰好の遊び相手なのですが、遊びの度が過ぎて余りに激しぐなると父犬が介入してその場で悪者を懲らしめます。そして同じやり方で父犬は、子犬たちの食事が終わるまで、ほかの犬が食物に近づかぬように見張っているのです。なお、この時期はまだ授乳中の母犬には優先権が与えられていることも付け加えておきましょう。
この時期についての解説を終える前に、父、子犬の関係がどのように確立するのかをよく示す例を二つ挙げましょう。

私は血族交配の結果、突然変異で生まれた毛色の明るい雌ディンゴ、アルタを、これまた明るい毛色の一歳年下の弟犬アルテユスとめあわせました。分娩の直前にアルタを分娩所に入れ、そこで彼女は遺伝の法則に従って、銀色の毛並みのディンゴ、すなわち明るい色の子犬を六匹産み落としました。私はそのうちの五匹を残しておき、彼らを七二日目に母犬と共に雄犬の犬舎に移しました。
結果は驚くべきものでした。アルテユスは直ちに一匹の子犬を噛み殺しましたが、ついでアルタに頑強に抵抗され、ほかの子犬を攻撃することはできませんでした。しかし、とうとうほかの一匹も酷く傷つけたので、最終的に私はその子犬を安楽死させざるをえませんでした。結局、私は子犬たちを犬舎から出さなければならなかったのです。
次回の分娩は雄犬の犬舎でおこなわれ、今回、アルテユスは正常な父犬としてふるまいました。父親なしで育てられた子犬たちの行動には明らかに何らかの欠陥があり、それが父犬の突然の攻撃を引き起こしたのでしょう。この殺された子犬に関し、二つ付け加えることがあります。まず、一〇週間の間、子犬たちは沢山の人手に触れられ、自分を取り巻く環境に対する不信の念は一切抱かずに過ごしました。第二に、この環境に、グレート・デンの雌サンドラ、ドイツ・シェパードの雌ラナという、とりわけ優しい犬たちを参加させてありました。ということは、子犬たちはほとんど例の「なだめの儀式」を実施する機会がなかったことになるのです。
第二の例を挙げてみましょう。以前分娩所にシドニーという雌ディンゴとその子犬五匹を一二週問置いたことがあります。この間、私は子犬に殆ど触らなかったので、彼らは人間に対して刷り込みがなされず、格子に手を差し延べても嘗めることすらしませんでした。また、犬同士の態度は極めて荒々しいものでした。ついで判ることなのですが、一二週の終わりには彼らの成熟度は相当進んでいたのです。したがって、ほとんど三カ月に近い子犬たちを母親と一緒に父犬パロの小屋に入れた時、かれらは父親に対し、当初うまくなじみました。しかし、そうはいっても、子犬たちは生意気で父犬の権威を受入れる素地がなく、父犬は自分の父親としての役割を果たすのに難渋していることが観察されました。そして、その犬舎には争いが常時起こるようになり、全員が苛立ってきたのです。というのは、パロは不服従を我慢できず、争いの度に精力的に介入せざるをえなかったからです。
正常な犬の家族に見られる、愛情に満ちた友好的な様子はここでは見られませんでした。
次に、私はこれら二つの例を通じ、全体をよく見ないと、安易に物事を断じてしまう危険があるということを説明したいと思います。動物に関する観察において、我々が綿密な検証よりも、先入観念に頼りやすい、という事実を指摘したいのです。私の頭にあるのは、たとえば、映画産業の産物「ラッシー」によって人々が抱く、利口で慎重に行動する犬の姿が、いかに事実からはかけ離れているかというようなことです。さて、私がほかの多くの経験から、「移行期から刷り込み期の終わりまでに父犬と生活しなかった子犬たちは精神的に異常に育つ」ということを知っていなかったなら、次のことを補足すると、前の一例の説得力は台無しになっていたかもしれないのです。
実際、パロは正常な環境で育ち、その時までに二回も子犬を育てた経験がありました。
ところが、アルテユスはまずひとりっ子でしたし、私はこの犬を四ヵ月の時両親から引き離したので、彼は 歳上のアルタと一緒になる前は、しばらくの間一匹で暮らしていたのです。アルタは成犬でしたし、アルテユスは若く、常にアルタの命令に従っていました。
少し経ってから、彼も自己主張を始めましたが、アルタのほうが利口で彼を酷く痛めつけたので、時にはアルテユスが血を流し、足を引きずり、尻尾を股に挟むようなことさえ起こりました。状況が改善されたのはアルタが発情してからです。こうなれば、雄犬も当然しかるべき役割を持つことになります。
疑いもなく、生活の特殊環境がこの雄犬の行動を最初から多少異常にしてしまっていたのです。また、交尾の後、彼は一一週間以上一匹で過ごさねばならなかったので、またしても雌の尻に敷かれることとなってしまいました。
しかし、これがすべてではありません。もつと重要なことは、ディンゴの雌犬というのは、よその子犬を好まないことです。これはおそらく、厳しい自然においては、自分の子供と競争関係にある生物を容認できないという性質からくるのでしょう。さて、アルタとアルテユスとが余り友好的でない同居をしていた時代に、彼らの住まいの隣に別の犬舎があり、何匹かの子犬が住んでいました、子犬たちは父犬なしで育てられ、ディンゴを信頼し、一緒に遊びたがりました。ところが、アルタはまったく別の考えを持っており、格子越しに数匹の子犬を噛み殺してしまったのです。性格形成においてアルタからもある程度影響を受けているアルテユスは、この残忍な虐殺に加担しました。
以上が事実関係のすべてであり、ここからいくつもの教訓が読み取れます。私の最初の著作を読まれた読者はおそらく、どうして私が当時、「健康で精神的欠陥のない雄犬は子犬に危害を加えることはない」と断言できたのか疑問に思われるでしょう。以下が答えなのです、一度目の出産時にその行動が完全に正常であったものの、本来アルテユスは健全な精神を持った雄犬ではなかったのです。けれども、もう一言付け加えましょう。二回目の出産時にアルテユスが初めて鼻を巣に突っ込もうとした時、アルタは大変見事なやり口で叱りつけ、ついで彼に、子犬たちは彼の子供なのだとはっきり判らせたのです。よく観察してみると、彼は父親としての役割を正常に、しかも能率的におこなっていましたが、常にアルタの厳しい監視の下にありました。さて、正常な犬の家族においては、雄のしつけによって子犬が悲鳴を上げても、雌犬は耳をピクリとも動かさず、完全に無関心です。
なお、その後の出産時に、アルテユスは再び面倒を起こしたのでした。
以上の説明から、犬を観察するにあたっては、誤った結論に導かれる危険が充分にある、ということと、犬の行動は、その個体の刷り込みにどれほどまでに影響されるものか、をお判りいただけたと思います。私は、私宛に自分の犬の行動をことこまかに書き送って、それについての意見を求める人々を頭に思い浮かべているのです。その問題となっている犬が幼い時、どんな個々の状況に置かれて成長したのかを私が知らない限りは、到底、答えを出すことなどできるはずがありません。
さて、私にとっては以下のことは疑いの余地がありません。子犬には最初の一年間にさまざまな要素が刷り込まれ、その影響は生まれながらの性格に優先する場合すらあるのです。しかし、いずれにせよ、我々が、若い犬の発育過程において、その精神構造を変化させるようなすべての要素を知りつくさない限り、犬の生来の性格を判断することなどはできないのです。そして、それを知れば、犬の今後の成長をよく観察することが可能となるということです。
訳注
よくこの犬種はどういう性格である、との議論が安易になされるが、犬の性質については、
犬種による普遍的傾向、それぞれの犬の血統の持つ傾向、個々の固有の遺伝要因、最後に
ここで詳述されている生まれてからの環境、のすべてを考慮に入れないと正しい判断は不
可能であろう。とかく日本においては生後の環境の影響が軽規されているように感じられ、
著者の研究が、わが国の繁殖、訓練界の参考となることを期待したい。


ニックネーム ポセイドン at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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