2005年11月28日

びびりの犬とのくらし方 その7

犬の行動学 エーベルハルト・トルムラーより


社会性を身に付ける時期(八〜一二週)

この時期、自分たちの避難場所でもある巣との結びつきはまだ相当緊密ですが、子犬たちは許されたより広範囲の遊び場にも安心するようになってきます。しかし、何かの危険かせまるとまっしぐらに巣や両親の元に駆け込むのです。
さて、巣についで、子犬に必要な遊び場は、彼らの運動能力、好奇心が発達するにつれて広がってきます。両親は餌を運び続け、時には生きたままの小さな獲物を持ってきてやり、子犬たちは獲物を捕まえ、殺す経験を積むのです。彼らは常に最初に餌を食べることが許され、成犬は彼らが満腹になってから手をつけます。子犬たちは、なんとかよい餌を取ろうとして懸命に争い、毛を逆立て、稔り、相手に食いついたりする防御行動が大変進歩してきます。おなじような行為は、刷り込みの段階でも見られるので
すが、この時期の最初の数週間において、餌を守るために最高度に発揮されます。

この時期に飼育者は、犬に対する愛情からかえって根本的な過ちを犯してしまうことがままあります。彼らは、昔の犬学の大先生、エミール・ハウクの助言に従い、子犬たちが一匹ずつ食べられるような餌箱を用いるのです。こうすれば、すべての子犬は自分の食物にありつけるのですから、これは善意から出た考えといえるでしょう。でも、そもそも餌の量が充分あれば、一匹ずつの餌箱がなくても食いはぐれることなどないのです!
充分食べた犬は次の犬に場所を譲るものです。食物に関する闘いは社会的意味を持ち、それが子犬の場合は、どうやって自分の権利を相手に認めさせるかの問題であり、この過程を通して、白分の持つ攻撃性の大部分を発散してしまうのです。

いずれにせよ、私個人が観察したところによれば、餌を巡る闘いは、社会性を身に付ける時期においては危険なものではありませんし(実際、何事も起こりません)、その結果、少し経てば、頭をくっつけ合って、同じ獲物を平和に食べるようになるのです。つまり、充分な獲物を一緒に倒せば、このような闘いは無意味であることが判ってくるからなのです。

馬を使った狩猟の後で、三○頭ばかりのフォックス・テリアが、褒美として獲物の内臓を与えられた時の光景を見れば、私の言いたいことがよく理解していただけるに違いありません。犬たちは、足を動かしながら身体をよせあって、各々が獲物のかけらに食らいつき、捻りもしなければ、争いもなく、ただ、満足して食べる音しか聞こえてこないものなのです。
若い犬たちの発育の終極的な目的は、仲間の犬とうまくやってゆくことであり、社会的生活は孤独な生活より進化したものなのです。単独で狩猟生活を営む動物は、食物に関する競争相手の存在を許すことができません。一方、ある集団に参加すれば、その動物はより確実に食物にありつけるのです。

そして、集団生活の場合、より容易に食物が確保されるかわりに、個体が食物に関して反社会的行動をとることは許されなくなります。一九世紀後半のドイツの偉大なる自然研究者エルンスト・ヘッケルは、若い動物に、その発育の過程において、原始的な性格が多く現れることを観察しています。ある動物の進化というものは、進化の前段階において有益であったものをある日完全に否定しておこなわれるものではありません。不要となった性質も、以降の進化の過程において保持される場合がしばしばあるのです。
ヘッケルは「動物の個体の発生・成長の過程は、その動物が進化してきたありさまを手短にくり返す」と述べています。犬の生涯の最初の数カ月において、食物を巡る争いが生ずる原因というのは、原始的な「前犬属」、すなわち単独で狩猟をおこなった時代の痕跡であろうと私は考えるのです。もし、子犬たちが幼い時、つまりその争いが深刻な結果をもたらさない時期に、攻撃性を充分発散させられるなら、成長してからは皆と一緒になって、平和に餌を食べることができるようになるでしょう。最悪の場合
でも、お互いに策略は用いても、相手を殺してしまうほど噛むようなことはないはずです。
ともかくも、私の犬舎では、何世代もの犬が同居し、犬の数が過剰であったにもかかわらず、私はこのような結論に達したのでした。五〇平方メートル程度の広さの犬舎で一四、五匹の犬が平和に食事をする光景を見るにつれ、それが、彼らが幼少期に、犬という「種」の命ずるところに従って、食事を巡り、時代遅れでしかも非社会的な争いを充分おこなった結果であると考えるのです。もし、この考えが正しくないとすれば、子犬の時は兄弟と餌の奪い合いをして恐ろしげに唸っていたある雄犬が、なぜ父親になると、先ず授乳中の母犬に食事を取らせ、ついで子犬たちが満腹するまではほかの犬たちを食物に近づかせない、といった良心的態度をとることができるのか説明がつかないことになります。
だからこそ、仲間と.緒に食事をしなかった子犬は一生食物に意地汚く、成犬になってもためらい無しに自分の子人の食物を奪ったりするのです。
進化の過程で完全に消滅せず、動物の幼少期に発現するある原始的な行動は、幼いうちに充分発散されなければいけないのです。そうしないと、後になって面倒を起こす要因になってしまうでしょう。
獲物に対する態度についても同じことがいえます。ある時は遊びとして、ある時は真剣な形で現れる獲物の捕獲行動は、この時代から徐々に観察されるのですが、それについてはここでは述べず、次章の主題としましょう。
この章では、八〜一二週目に見られる、「社会性を身に付ける」行動形態について説明します。
まず、この時期になると、戦闘遊戯の回数はより頻繁になり、その行為は断片的な争いではなく、種々の行動形態が入り交じって複雑になってきます。この時期では、立場が入れ代わる場合はありますが、必ず、勝者と敗者に立場がはっきり分かれ、本能的なものに加えて経験から得た、攻撃を抑制する行為が現れてくるのです。激しい争いの中で、一匹が相手の身体の敏感な部分を強く噛み過ぎたとします。すると、噛まれた犬は防御反応を見せ、悲鳴を上げ、相手に度が過ぎたことを知らせるのです。噛んだ犬はこれにより自分の力の程度が判り、それを制御する方法を学ぶのです。この段階で、子犬に対し、我々の手は鉄でできているのではない、ということを充分教え込めば、将来、犬は手加減して遊ぶようになります。これを学んだ犬は、我々が生まれたばかりの子犬ででもあるかのように、手や足を優しく噛むようになるのです。
このようにして、戦闘遊戯を通じ、社会的絆を弱めないように、同属に対する危害を避けるような態度を身に付けてゆくのです。次の成長段階、「階級を意識する時期」になると、この社会的な意味を持つ抑制心には特別の役割が与えられることになります。

これ以外に、父犬によっておこなわれる集団遊戯もよく見られます。これは逃亡する獲物を追う狩猟ゲームで、父犬が獲物の役割を演じてやります。彼は自分を追いかけるように子犬を仕向け、段々と策略を巡らし、追跡をむずかしくしてゆきます。しかし、最後には大体捕まって、降参してやるのです。
この時期までの子犬たちはほとんど完全な自由を謳歌でき、何でも許されましたが、この段階になると父犬は徐々に厳しい規律を押しつけてきます。子犬たちの体力、勇気を試す行為は、同時に秩序を打ち立てる目的を持ってくるのです。遊戯を始め、終わらせるのを決めるのは父犬であり、大変精力的な態度で自分の意思を貫きます。
彼は「触れてはいけない物」を決め、常時それを見張っています。たとえば、古い骨をタブーとして指定するのです。最初、子犬たちは言いつけを無視しようとしますが、途端に物凄い勢いで罰せられます父犬は子犬の首か背中の皮をくわえ、強く振るのです「罰せられた子犬は叫び、放されると同時に背中を下にして引っくり返り、服従の態度を取りますが、ちょっと時間か経ち、父犬がほかのことをやっていると判ると、その子犬はまだ規則が生きているのか調べるため、非常に慎重な態度で、再度タブーとされている物に近寄ります。
しかし、今回も罰を受けてしまうのです。同じことが何度もくり返され、それはあたかも、父親が常に一貫性を保っているかを子犬が調べようとしているかの印象を与えます。
子犬を飼っている人は、自分が常に試されていることを認識すべきでしょう。しかし、子犬はこのやり方でなされる罰をきちんと理解し、それが父親の権利であることを認め、すぐに深い親愛の情を示します。罰せられた子犬は父犬に友好的な態度で近寄り、鼻面で押したり、口を嘗めたり、前足を出したりして愛情を表すのです。
まるで、「お父ちゃん好きなようにしていいよ。頼りにしているんだから」と言っているかのように見えます。なぜなら、父親の権威への絶対的服従こそが「種」の存続を保証するものだからです。
もっとも、これは犬に限った話ではないのでしょうが!

このように、社会的行動、特に両親との結びつきは遊びを通じ現れるのです。このことは我々にとっても大きな意味を持つに違いありません。というのは、まさにこの時期にこそ、犬と人間の絆を構築しなければならないからなのです(欧米ではこういった理由から、一般に七週目に子犬を入手するのが最適といわれています)。もし、飼い主がそれをしないと、子犬は人間よりも同属の犬に対し強い絆を持ってしまいます。
遊んでやる時は、子犬にとって遊戯が、対等の立場に立ったお互いの喜びである、と受け取れるようにしてやらなければなりません。犬が我々の望む行動を取った時に与えられる褒美、あるいは愛撫は、彼がタブーを犯した時に受ける罰(首の皮をつまんで振り回す)と同じく子犬の心に焼きつけられます。通常はこれらを何度かくり返す必要が生じてきます、というのは、子犬は自分の教育者である飼い主の一貫性を常時試そうとするからです。
重要な点は、我々ができる限り子犬と遊んでやることなのです。人との遊戯が楽しければ楽しいほど、学習は楽しみと受け取られ、犬は学ぶことに喜びを感じるようになります。この段階では、常時学習の喜びが存在しなければいけないのです。
人間との接触を通じ、子犬の自信を深めさせてやる必要もあります。したがって、規律を守らせる手段は犬にとって容認できる範囲であるべきなのです。子犬が必要な罰を受けても、恐れて飼主を避けたりせずすぐに愛情を示してくるありさまが確認される程度の罰でなければならないのです。我々も次の原則を守らなければいけません。罰は、明白に犬か掟を破った場合に限る、と。犬が犯した罪と罰を結びつけられるように、罰が、罪を犯したと同時にあたえられるべきことは当然です。すなわち、父犬の真似をして、この時期においては、常に子犬を見張るべきですし、もしそれができないのなら、子犬がタブーを犯せない場所に入れておかなければなりません。もちろん、子犬を長時間一匹にしておいてはいけません人か何かの行為をしでかした後で叱るのは、もう少し成長して、彼が過去の行為と我々の不満を結びつけることができるようになるまで待つべきで、しかも非常に慎重な態度が必要なのです。たとえば、犬の鼻先にひきちぎられた本を持ってゆき、犬が後悔の表情を示したとすれば、それは成功しているのです。なぜなら、犬は自分の罪状を極めて明白に表現するので、犬の行動について何の予備知識がなくとも、それが判るからです。ただ、注意が必要なことは、犬をその各々の性格に応じ、強く罰するか、穏やかに罰するかの問題です。すべての子犬たちは同一ではありません。ある犬には強い罰が必要でしょうし、別の犬には優しいたしなめで充分なのです。

訳注
赤太字部については欧米において必ずしも統一された見解とは思えない、犬は壊された本に腹を立てた飼い主の表情を見て恐れ、あたかも自分が悪かったと受け取られるような服従の態度を示す、という解釈がむしろ一般的である。結局のところ、犬がどう受け止めているかは確認できないのであるから、過去の行為に対する言葉による軽い叱責は許されるとしても、強い罰は、その行為の最中にのみ限られるべきであろう。


罰についての考え方は大変広範なもので、低い、あるいは大きな声で叱ることから、強いビンタを食らわせたり、ゆすぶったりするものまであります。このいずれを取るかは飼い主が自分の犬の性格に応じて決めるべきであり、罰はこうでなければならない、といった原則はないのです。
子犬に我々の望む行為をさせようとするなら、それは褒美によってのみ実現されるのです。たとえば、ボールを持ってこなかったとしても罰してはいけません。むしろ、遊びを止めてしまうべきで、もし、ボールを初めて持ってきたらうんと褒めてやることです。
小さな子犬にとって、自分の保護者との遊びはこの上もない喜びなのです。彼らは、自分がくたびれるまで飽きずに遊び続け、最後にのびてしまうのは、大体、人間のほうです。

さて、この年齢の子犬にとって、遊びの中止は規律に従うことなのです。ですから、犬が何かよくない行為を犯したなら、これを利用できます。そういう機会は容易に見つけられるでしょう。また、遊戯を止める時、ボールをうんと遠くに投げてやることもできます。
犬が一生懸命探している問、我々は平穏に過ごせるというわけです。しかし、たまたまであるにせよ、犬が飼い主の手元にボールを持ってくる場合もありますが、この時を逃してはなりません。我々が喜んだ様子を示し、遊びを続けてやれば、犬は自分の行為と遊びの続行を関連づけるでしょう(もっとも、六週目の子犬がこれをやらなかったとしてもがっかりしてはいけません)。
このようなやり方をすれば、我々がしつけとか訓練と呼ぶ、犬と飼い主の共同行為は犬にとって喜びと感じられるようになるのです。犬がある行為をした時、飼い上が喜びを表明し、同時に、それが犬にとって幸せな出来事と結びつけられれば、時が経ち、犬が充分な成長を遂げても、学習は喜びになりうるのです。人間が教育者として、あるいは社会生活のパートナーとして果たすべき役割はここにあり、これによってのみ、意義のある、そして安定的な犬と人間の群れというものが作り出されるのでしょう。
よく犬の性格が弱いといわれる場合がありますが、これはしばしば、この「社会性を身に付ける時期」におけるしつけの失敗に起因することが多いのです。犬と充分遊んでやらず、ともかく「鍛える」ことに主眼を置く……。沢山の人が、犬は荒々しい檸猛な狼であると考え、自分はライオン使いであると思っているかのようです。これは二重の意味で誤っています。まず、大分以前から猛獣使いは、自分の鉄の規律を猛獣に押しつけるのではなく、感受性の豊かな動物の友達となるようにしていますし、巨大な猫たちからは、彼らが働く喜びを持たぬ限りよい結果を引き出せないことをよく理解しているのです。第二に、荒々しい檸猛な狼などは存在せず、彼らは愛らしく、人に危害を加えたりはしないものなのです。もちろん、彼らは自然の命ずるところに従って、草食動物の欠陥ある個体を間引
き、過剰繁殖を防ぐ行動をとります。少なくとも犬においては、自分が生き延びるために、人間にとっても模範となるような社会生活を発達させており、喜んで我々と共同生活を共にするのです。子犬たちが杜会性を身に付ける衝動を持つ時期に、この事実をよく認識せず、生来の衝動を助けてやらない人間は、犬に対して罪悪を犯しているとすらいえるでしょう。
この時期に誤った取扱いをして、不信の念を植えつけると、事実上、一生取り返しがつかないことになります。癒すことのできない闘争の衝動は、一生を通じ、犬の精神に深く刻みこまれてしまうのです。間違ったやり方で幼年時代を送った犬の将来がどうなるかははっきりしています。多くの場合は獣医の注射が目茶苦茶にされた犬の一生に終末をもたらすのです。理性を持った人が、並々ならぬ苦労をもって犬の面倒を見てやり、ついにその犬が自分の最終的な家庭を見つけ出す場合は極めて稀であるというべきでしょう。
犬とは、本能がすべての鍵を握る動物ではない、と何度述べても充分過ぎることはありません、犬を理解するには、生まれながらの行動形態を学ぶだけでは不充分なのです。さらに重要なのは、生来備わった学習能力のある一定時期における可能性を分析し、子犬と両親の関係を観察し、異なった時期における父犬ー子犬の関係を学び、子犬の個性が何によって、またどういう具合に形成されるのかをよく認識する態度です。
犬とは、まぎれもなく「学習する動物」であり、その社会性の発達を研究し、それから得られたものに注意を払わなければなりません。「社会性を身に付ける時期」における、犬と人間の係わりの広さと程度こそが、犬の一生を通じ、その性格に決定的な刷り込みをなし遂げるのです。

(訳注)
犬を薬殺せざるをえない最大の原因は噛咬問題である。日本においては残念ながら、未だに、「噛む犬を殴る」ことを勧める訓練士も多いし、著述にも出会う、これこそが、わが国の飼い犬文化の後進性を如実に示しているのである。臆病に生まれ、人間に対し充分な社会化がなされなかった犬が、人手を恐れ、噛むことは容易に想像できる。その犬を殴ればどうなるであろう?犬の人間を恐れる傾向はますます強まり、更に噛む犬になることは明白である。このような犬に対しては、一切の体罰をさけ、忍耐強く、「人間性善説」を植えつける以外に解決策がないのである。


ニックネーム ポセイドン at 21:43| Comment(1) | TrackBack(5) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

ビビリの犬とのくらし方 その6

ここまで書き進んできたところで、我が愛犬ポセイドンについて述べようと思う。
ポセイドンがどの時点でビビリになったのか?恐らく、預かり宅で病気になった時に隔離されていたせいだと思う(預かりボランティアの名誉のために言っておくが、あくまで予防的措置であったと聞いている、またその当時預かりボランティアに行動学的知識が無かったとしても彼女の責任ではない)。その4に書いた移行期からその5に書いた刷り込み期かけて犬との接触と預かり家族以外の人間との接触が極めて少ない状態になってしまった。また、外界をかいま見ることも無かったと思う。
その結果、極限られたパターンの人間と部屋の中だけに安全を感じる犬に育ったようだ。またポセの身体的特徴から見て取れるように、日本犬(柴犬)の血が入っているようでもある。日本犬は一頭飼いで尚且つ外に繋いで飼われることが長く続いた犬種だ。そのため日本犬は人なれが悪く、犬慣れが悪い(群れでの行動が薄れている)などの特徴がある。
その傾向もポセにはあるようだ。

蛇足・・・単独で仕事をする犬種例えば ダックスフンド、各種のテリア
などにも同じ傾向が見られると言われている。猟犬、使役犬はその仕事の特性を理解したうえで手に入れるべきであるし、また仮に飼い始めたときにはそこのところを理解しておく必要があると思う。

ポセイドンも1歳をこえた。臨界社会化期もすり込み期も過ぎてしまった犬にはチャンスはないのだろうか?
答えは困難ではあるが大きな可能性が残されている。
適切な知識と指導のもとに行なわれる脱感作(だっかんさ)がもっとも安全且つ効果的である。

脱感作トレーニング

正式には系統的脱感作法といい、人間の様々な恐怖症の治療にも用いられている方法です。
このトレーニング方法は犬に負担がなく、問題行動の多くはこの方法で解決します。

【音に対する恐怖の脱感作】

まず恐がる音(雷、花火、バイクの音、子供の声、掃除機の音等)を録音し用意します。
今はweb上でも様々な音源がダウンロードできますし、
アリバイCDや効果音CDなんていう物も出ていますからレンタル屋さんで借りてくるのも手ですね。

★犬が恐がらない程度の音量で音を流します。
  
  この時、ただ流すのではなく、犬が楽しくリラックスできる環境を用意してあげましょう。
  犬の反応を見るためにも、遊びながらや食事の際というのが理想です。
  
★徐々に音量を上げ慣らしていきます。

  少しでも犬が怯える素振りを見せたりしたら即、音量を下げること。
  犬の許容範囲を見極めるのが、このトレーニングのツボです。


【人に対する恐怖の脱感作】

これはもう1人(以上)の誰かの協力が要ります。
お婆さんを恐れるならお婆さん、ヒゲ顔のオッサンが恐いならそういう容貌の人にお願いします。
家族の中で「俺に(私に)だけなつかない。」という人がいれば仲良くさせるチャンスです。

★犬がリラックスできる環境で行いましょう

 外が好きな子は屋外で、お部屋の中が落ち着く子は室内で行います。

★協力者には最初は無視をお願いする

 犬と目も合わさず、声もかけず、出来れば背中か横を向いて座った姿勢をとってもらいます。
 犬が緊張しない距離をとります。
 「お前に関心はない。だから危害も加えない。」と判らせます。

★少しずつ距離を縮めて行きます

 ここで大切なのは一日で克服しようと思わない事!
 犬の恐怖心の度合いは個体によって違います。
 恐いと思い込んで過ごしてきた期間も違います。

★距離が1メートル以内に近づいても吠えたり逃げたりしなくなったら・・ 

 協力者にオヤツを持ってもらいます。まだ無視は続けます。
 犬が自分で近寄ったら目は合わせずにオヤツをゆっくりとした動作で与えてもらいます。
 最終的には触られても大丈夫になる事を目指しましょう。


【犬に対する恐怖の脱感作】

多頭飼いで同居犬には大丈夫でも外では吠えてしまう子。
社会化不足や自信のなさからの恐怖咆哮です。そういう子に一番良いのはドッグラン。
衛生上は決して良い場所とはいえませんが
バリア・フラストレーションもなく、いつでも飼い主さんのそばに逃げてこれる(自由)なので
犬が楽しまない、走らないからと言って行かないのはどうかと思います。
最初は空いている時間から始めるのが良いでしょう。
一日目は足元で尾を巻いて縮こまっていた子も、数日で飼い主さんとは遊べるようになるでしょう。
犬が沢山来る公園などでもOK。ただし、最初は犬の少ない時間帯からはじめましょう。
もし協力してくれる、温厚なしつけの入ったワンちゃんがいる場合は下記のように進めます。

★協力犬に横を向かせて座ってもらう

この時、協力犬のハンドラーには協力犬が視線をこちらに向けないようにしてもらいます。

★少しずつ近づいてみる

犬が反対方向に行こうとしたり、座り込んだり吠えようとしたら近付き過ぎです。
平静を保っていられる距離まで近づきます。
トレーニング開始時はUターンするように歩くのが良いでしょう。

★犬が平静でいられる距離でベート

食べ物が口に出来れば臨界点まで達していないという事になります。
そして、他の犬に出会うといい事があるとの関連付けにもなります。
これも一日で出来るとは思わないで下さい。

脱感作トレーニングで一番重要なのは急がない事です。

★距離を縮めて行く

最終的にはご挨拶(匂いを嗅ぎあう)が出来る事を目指しましょう。

脱感作トレーニングに関わらず、犬のトレーニングにおいて一番大事なのは

トレーニングのペースは犬が決めるという事です。

「犬の意思」を尊重してください。
無理強いは恐怖感や嫌悪感を強くするだけで何の意味もありません。
急ぎすぎず忍耐強く目標を持って継続すれば必ず進歩します。
恐怖心の強い子は自信のない子がほとんどです。
「うちの子は芸なんか出来なくていいの」とよく耳にしますが
芸を教える事によって沢山褒められ自信に繋がるなら教えた方が良い。
誰からも好かれ、誰と会ってもストレスのないワンちゃんにしてあげましょう。


*********お友達サイトからの引用***********


具体的には、散歩のときに”皆で行けば恐くない作戦”(犬一頭に人間3人)とか”いった場所には良い事が待ってるぜ!作戦”(犬にとって楽しい事ポセの場合は森の中の散策)しかし、一番は犬に一番好きな食べ物を用意してそれでつる事である。

犬は食べるために試行錯誤する動物である。


美味しいもののためなら勇気もわくものらしい。

ニックネーム ポセイドン at 22:31| Comment(4) | TrackBack(5) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビビリの犬とのくらし方 その5

犬の行動学 エーベルハルト・トルムラーより


刷り込み期(四〜七週)

この時期になると、子犬の五感は発達し、気がついた物を、鼻、耳、目で確かめ、それがなんであるかをつきとめることが段々できるようになります。彼らは緊張した面持ちで周囲の動静を観察し始めます。この数週の間に運動神経は非常な発達を遂げ、遊びを通じて、速さ、柔軟さ、確実性を身に付けてゆきます。七週目の終わりになっても、大型で鈍重な純血種は、同じ年齢の小型犬、あるいは非常に早熟なディンゴ、ジャッカルと比べ、まだぎごちない動きを見せます。また、睡眠時間は短縮され、運動の要求が強まるにつれ、身体も大きくなっているのです。
歯列の発達にともない、子犬たちは両親の食物に深い関心を示し、彼らからそれを奪う権利すら持つようになります。雄でさえも、子犬が自分の口から食物を引っ張り出すのを平気で受け入れるのです。最初はもちろん、肉を噛むだけですが、まもなく小さな肉片に切り裂き、飲み込むことを覚え、くるみ程度の大きさの肉片であれば平気で貧り食ってしまいます。もし、欲張り過ぎて大きなかけらを飲み込んでしまった場合は静かな隅のほうへ引き下がり、一度吐き出し、改めて食べなおすのです。
もちろん、通常の場合子犬たちは、この時期の終わりまではまだ授乳期にあります。なお、家畜化を追求した結果、通常よりも数週間も長く乳を出し続ける「乳犬」というべきものまで出現しています。

さて、最初のうち、母犬は巣の内部で授乳しますが、子犬が外出するようになると、巣の外で、寝そべってではなく座って乳をやったり、最後には立ったままで授乳したりします。しかし、子犬たちの飽くことのない騒々しさに辟易すると同時に、尖った歯が乳首に対する拷問の道具になってくると、母犬は子犬たちを避けるようになります。子犬が近寄れない場所が見つからないと母犬は唸って彼らを追い払います。
この時期になると,両前足で乳首の回りを押さえるという子犬の動作は徐々に消滅し始めます。母犬が立ったままで授乳する場合、子犬は片方の前足で体重を支えなければならず、残りの一本の前足でしか乳首を触ることができません。私は前著において、乳首の回りを押さえる動作はやがて、片前足を出して仲間をなだめる動作に変貌すると説明しました。いずれにせよ、この段階で、子犬たちのいろいろな社会的行動が観察され始めます。嬉しさのあまり興奮したり、懐かしがって尻尾を振る、尻尾を股に挟み、恐怖や不安を表明する、また、既に述べたように、友好と愛情の印として口角を嘗める、などです。子犬たちは食物のかけらの取り合いを真剣になって始め、毛を逆立て、耳を寝かせ、口角を後ろに引き歯をむき出し唸ったりします。
いまだに母犬、巣に対する結びつきは非常に強いのですが、子犬たちは以前より巣から遠く離れようとし、その傾向は両親について行ける場合は特に強まります。しかし、両親が最初は三〇メートル、少したって五〇メートルも巣から離れると、子犬は迷う様子を見せ、結局、巣に戻るほうを選びます。
この段階では好奇心と学習したいという衝動が何よりも大きな特徴となります。すべてのものが探索の対象となり、触れるものを手当たり次第噛んでみるようになるのです。これは、人間の子供があらゆる物を口に入れたがるのと同じ現象です。
さて、今こそ学習するための準備が完了し、食物の摂取、社会的行動の領域で迅速な成果が現れてきます。我々は、この時期のこれらの社会的行動こそを注意深く観察すべきなのです。一般論として、それぞれの社会的行動は独特なものであり、あることはある決まった時期に学ぶプログラムが、自然によって作られているのです。言い換えれば、あることは、それに適した時期に学ばれなければいけないのです。私の観察したところによれば、ある子犬がこのように定められた一定の時期に学ぶべきことを学習できないと、それに関する行動に異常が現れる可能性が極めて高く、最悪の場合は、学習能力の一部が完全に麻痺してしまいます。更に、犬と人間の将来の関係の点から考えると、この学習能力はさらに磨きをかけられなければならないのです。
この数週間の間に、子犬は、あらかじめ自然から与えられたいろいろな学習能力を、それに適した厳密な時期に最大限に発揮し、それが犬の一生の経験を決定づけてしまうのです。
つまり、この時期に学ばれなかったことは一生取り返しがつかなくなります。このように、ある厳密な時期にある決まったことを学習する現象を我々は「刷り込み」と呼んでいます。犬と人間の将来の関係はこの刷り込みにかかっているのであり、このことについては現在までに相当正確な分析がなされています。
もしこの時期に毎日充分手で子犬に触れてやれば、彼らは人間との接触を大変好む犬になります。逆に、その機会を少ししか与えないと、人間にあまりなつかない犬になってしまうのです。万一、この時期に人の臭いを嗅ぐ機会をまったく与えないと、仮に、七、八週間目以降にいかに努力してもまったく人間と接触を持てない犬になります。我々のできることといえば、犬を若干扱いやすくする程度のことでしかなく、もし、我々がこのような犬に対してちょっとでも取扱いを誤ると,犬は「恐怖による噛咬」癖を持ってしまうのです。
この点についてはいろいろな経験があります。まず、子犬が毎日人を見る、あるいは、子犬が人手から直接餌を貰う、ということでは不充分なのです。子犬が直接人から触れられる必要があり、嗅覚が重要な役割を果たします。もし、子犬が一人の人間しか知らないと、成長してからほかの人の前で落ちつかず慣れないのです。逆に、大勢から愛撫を受けた子犬は将来人々のいる所で元気一杯ふるまうし、喜んでそれらの人たちと付き合うことが判っています。
犬は経験をまったく持たぬままこの世に産み落とされ、五感の発達しない一八日目までは犬というものを認識できないのですから、ある時期に、しかも決定的な方法で、犬とはどういうものか、を植えつける作用が必要なことになります。したがって、この刷り込み時期に、人間が頻繁に現れ、子犬が自分の両親,兄弟に対するのと同様にその臭いを嗅げれば、人間も子犬と同じ「種」の仲間として子犬に刷り込まれるのです。
他の行動学上の体験として、フォックスはこの棚り込み現象がいかに厳密なものであるかを述べています。彼はチワワの子犬数匹を子猫に混ぜ、雌猫に養わせました。子犬たちは当初、猫によって刷り込みを受けてしまったので、しばらくして正常な環境で育てられた子夫たちと出会ってもどうしてよいか判らなかったそうです。
もちろん、このように誤った刷り込みを受けた犬も、時間がたてばほかの犬が自分と同じく犬であると判るでしょう。犬は嗅覚が非常に発達していますから、自分の臭いとほかの犬の臭いの共逓点を見出せるので、この場合、刷り込みの役割は決定的ではないと考えられます。こうした臭いは彼にとって、異質でも、危険でも、不快なものでもないので、犬は障害を乗り越えることができるのです。
今まで私が観察したところによると、刷り込みは食物の選択にも大きな役割を果たします。この時期に生肉を貰わなかった犬は成長してからそれに慣れるのが非常に困難となるのです。もちろん、いずれは馴染むでしょうが……。経験ある親犬は犬に消化できるものしか受け付けないように子犬たちを仕向けます。したがって、両親から与えられた食物の刷り込みを受けた子犬は、たとえば毒茸を食べる危険を冒さず、既に味わったことのあるもの、すなわち、刷り込まれたもののみを食べるようになる、というわけです。
この一定の時期において、いろいろな学習項目を数えあげることが可能ですし、それらを正確に知ることが子犬のしつけに大きな意味を持つはずです。もしこの可能性を過大評価しないとしても、飼い主が「犬というもの」、つまり犬の生まれながらの性質と呼んでいるものの相当多くの部分が、この時期に影響を受け、その環境により変化することが大いにありうるのです。
この意味から、完全な野生状態における犬の群れの形を残した環境の中で子犬がいかに成長するか、とりわけ、それに果たす父親の役割を観察することが極めて有用であると私は考えているのです。子犬たちが六〜七カ月齢になると、彼らは両親にとって、群れの中の頼り甲斐のある同僚となることを忘れてはなりません。
私の犬舎では、この刷り込み時期を通じて、両親が子犬に対し極めて寛大で大きな自由を与えていることが観察されます。父犬は辛抱強く子犬と遊んでやります。当初相当乱暴な態度を見せるのには、子犬の耐久性を試す意味もあるのかもしれません。しかし、この行為の本来の意味は、子犬が将来本当に傷つけられてしまうようなことが起こる前に、「なだめの儀式」を早いうちから学ばせておくことにあるのでしょう。
実際、子犬はこの儀式を非常に早く身に付け、驚くべき賢さをもって実際に試すのです。次のような大変面白い光景を見ることもできます。休んでいる父親の前に近づいた一匹の子犬が、前足を出すと同時に恐怖の叫び声を上げる(これらの行為は攻撃の抑制をするためのものです)ついで、電光の如き早業で父親の鼻を噛み、走って逃げる……まさに、笑いながら、と付け加えたいところです。
このやり口を大人の犬から餌を盗む時にも用います。成犬が驚いた顔をして子犬の挙動を眺めると、子犬は肉片を奪い取り、大急ぎで逃亡するのです。もちろん、これも社会的行動の内の二面です。
このような、あるいはこれと似た行為を通じ、子犬は父犬に対し非常に強い信頼の念を持つようになりますし、父犬は徐々に子犬たちをしつけ始めるのです。この現象は、刷り込み時期の最後の頃から見受けられるようになります。父親は子犬たちが余りうるさいと唸り、追い払います。もし犬舎に、以前に同じ両親から生まれた年長の兄、姉犬などがいると、もっと面白い光景が見られます。兄、姉犬はこの時期の恰好の遊び相手なのですが、遊びの度が過ぎて余りに激しぐなると父犬が介入してその場で悪者を懲らしめます。そして同じやり方で父犬は、子犬たちの食事が終わるまで、ほかの犬が食物に近づかぬように見張っているのです。なお、この時期はまだ授乳中の母犬には優先権が与えられていることも付け加えておきましょう。
この時期についての解説を終える前に、父、子犬の関係がどのように確立するのかをよく示す例を二つ挙げましょう。

私は血族交配の結果、突然変異で生まれた毛色の明るい雌ディンゴ、アルタを、これまた明るい毛色の一歳年下の弟犬アルテユスとめあわせました。分娩の直前にアルタを分娩所に入れ、そこで彼女は遺伝の法則に従って、銀色の毛並みのディンゴ、すなわち明るい色の子犬を六匹産み落としました。私はそのうちの五匹を残しておき、彼らを七二日目に母犬と共に雄犬の犬舎に移しました。
結果は驚くべきものでした。アルテユスは直ちに一匹の子犬を噛み殺しましたが、ついでアルタに頑強に抵抗され、ほかの子犬を攻撃することはできませんでした。しかし、とうとうほかの一匹も酷く傷つけたので、最終的に私はその子犬を安楽死させざるをえませんでした。結局、私は子犬たちを犬舎から出さなければならなかったのです。
次回の分娩は雄犬の犬舎でおこなわれ、今回、アルテユスは正常な父犬としてふるまいました。父親なしで育てられた子犬たちの行動には明らかに何らかの欠陥があり、それが父犬の突然の攻撃を引き起こしたのでしょう。この殺された子犬に関し、二つ付け加えることがあります。まず、一〇週間の間、子犬たちは沢山の人手に触れられ、自分を取り巻く環境に対する不信の念は一切抱かずに過ごしました。第二に、この環境に、グレート・デンの雌サンドラ、ドイツ・シェパードの雌ラナという、とりわけ優しい犬たちを参加させてありました。ということは、子犬たちはほとんど例の「なだめの儀式」を実施する機会がなかったことになるのです。
第二の例を挙げてみましょう。以前分娩所にシドニーという雌ディンゴとその子犬五匹を一二週問置いたことがあります。この間、私は子犬に殆ど触らなかったので、彼らは人間に対して刷り込みがなされず、格子に手を差し延べても嘗めることすらしませんでした。また、犬同士の態度は極めて荒々しいものでした。ついで判ることなのですが、一二週の終わりには彼らの成熟度は相当進んでいたのです。したがって、ほとんど三カ月に近い子犬たちを母親と一緒に父犬パロの小屋に入れた時、かれらは父親に対し、当初うまくなじみました。しかし、そうはいっても、子犬たちは生意気で父犬の権威を受入れる素地がなく、父犬は自分の父親としての役割を果たすのに難渋していることが観察されました。そして、その犬舎には争いが常時起こるようになり、全員が苛立ってきたのです。というのは、パロは不服従を我慢できず、争いの度に精力的に介入せざるをえなかったからです。
正常な犬の家族に見られる、愛情に満ちた友好的な様子はここでは見られませんでした。
次に、私はこれら二つの例を通じ、全体をよく見ないと、安易に物事を断じてしまう危険があるということを説明したいと思います。動物に関する観察において、我々が綿密な検証よりも、先入観念に頼りやすい、という事実を指摘したいのです。私の頭にあるのは、たとえば、映画産業の産物「ラッシー」によって人々が抱く、利口で慎重に行動する犬の姿が、いかに事実からはかけ離れているかというようなことです。さて、私がほかの多くの経験から、「移行期から刷り込み期の終わりまでに父犬と生活しなかった子犬たちは精神的に異常に育つ」ということを知っていなかったなら、次のことを補足すると、前の一例の説得力は台無しになっていたかもしれないのです。
実際、パロは正常な環境で育ち、その時までに二回も子犬を育てた経験がありました。
ところが、アルテユスはまずひとりっ子でしたし、私はこの犬を四ヵ月の時両親から引き離したので、彼は 歳上のアルタと一緒になる前は、しばらくの間一匹で暮らしていたのです。アルタは成犬でしたし、アルテユスは若く、常にアルタの命令に従っていました。
少し経ってから、彼も自己主張を始めましたが、アルタのほうが利口で彼を酷く痛めつけたので、時にはアルテユスが血を流し、足を引きずり、尻尾を股に挟むようなことさえ起こりました。状況が改善されたのはアルタが発情してからです。こうなれば、雄犬も当然しかるべき役割を持つことになります。
疑いもなく、生活の特殊環境がこの雄犬の行動を最初から多少異常にしてしまっていたのです。また、交尾の後、彼は一一週間以上一匹で過ごさねばならなかったので、またしても雌の尻に敷かれることとなってしまいました。
しかし、これがすべてではありません。もつと重要なことは、ディンゴの雌犬というのは、よその子犬を好まないことです。これはおそらく、厳しい自然においては、自分の子供と競争関係にある生物を容認できないという性質からくるのでしょう。さて、アルタとアルテユスとが余り友好的でない同居をしていた時代に、彼らの住まいの隣に別の犬舎があり、何匹かの子犬が住んでいました、子犬たちは父犬なしで育てられ、ディンゴを信頼し、一緒に遊びたがりました。ところが、アルタはまったく別の考えを持っており、格子越しに数匹の子犬を噛み殺してしまったのです。性格形成においてアルタからもある程度影響を受けているアルテユスは、この残忍な虐殺に加担しました。
以上が事実関係のすべてであり、ここからいくつもの教訓が読み取れます。私の最初の著作を読まれた読者はおそらく、どうして私が当時、「健康で精神的欠陥のない雄犬は子犬に危害を加えることはない」と断言できたのか疑問に思われるでしょう。以下が答えなのです、一度目の出産時にその行動が完全に正常であったものの、本来アルテユスは健全な精神を持った雄犬ではなかったのです。けれども、もう一言付け加えましょう。二回目の出産時にアルテユスが初めて鼻を巣に突っ込もうとした時、アルタは大変見事なやり口で叱りつけ、ついで彼に、子犬たちは彼の子供なのだとはっきり判らせたのです。よく観察してみると、彼は父親としての役割を正常に、しかも能率的におこなっていましたが、常にアルタの厳しい監視の下にありました。さて、正常な犬の家族においては、雄のしつけによって子犬が悲鳴を上げても、雌犬は耳をピクリとも動かさず、完全に無関心です。
なお、その後の出産時に、アルテユスは再び面倒を起こしたのでした。
以上の説明から、犬を観察するにあたっては、誤った結論に導かれる危険が充分にある、ということと、犬の行動は、その個体の刷り込みにどれほどまでに影響されるものか、をお判りいただけたと思います。私は、私宛に自分の犬の行動をことこまかに書き送って、それについての意見を求める人々を頭に思い浮かべているのです。その問題となっている犬が幼い時、どんな個々の状況に置かれて成長したのかを私が知らない限りは、到底、答えを出すことなどできるはずがありません。
さて、私にとっては以下のことは疑いの余地がありません。子犬には最初の一年間にさまざまな要素が刷り込まれ、その影響は生まれながらの性格に優先する場合すらあるのです。しかし、いずれにせよ、我々が、若い犬の発育過程において、その精神構造を変化させるようなすべての要素を知りつくさない限り、犬の生来の性格を判断することなどはできないのです。そして、それを知れば、犬の今後の成長をよく観察することが可能となるということです。
訳注
よくこの犬種はどういう性格である、との議論が安易になされるが、犬の性質については、
犬種による普遍的傾向、それぞれの犬の血統の持つ傾向、個々の固有の遺伝要因、最後に
ここで詳述されている生まれてからの環境、のすべてを考慮に入れないと正しい判断は不
可能であろう。とかく日本においては生後の環境の影響が軽規されているように感じられ、
著者の研究が、わが国の繁殖、訓練界の参考となることを期待したい。


ニックネーム ポセイドン at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビビリの犬とのくらし方 その4

長々と引用が続いていますが・・・
テキストを配られていると思って我慢して読んでおいてください。
今書いていることは、子犬にとって最良な環境での成長です。

犬の行動学 エーベルハルト・トルムラーより

移行期(三週)
大体の場合、瞼と外耳が開くのは一三日目ですが、一七ー一八日日にならないと視覚は活動を開始せず、それも不完全で、視覚、聴覚、嗅覚が完全な状態となるにはなお数日が必要です。いずれにせよ一八日目頃から、子犬が鼻で兄弟の存在を確かめ、搬蝕し始めるありさまが観察できるようになります。一七日目前後に、子犬たちが相互に嘗め合ったり,相手の耳、鼻、足などを日にくわえる動作が見られることもあるでしょう。
この時期をほかの段階と区別するのには意味があります。この比較的早く過ぎ去る時期は、「乳を吸い眠る」というまったく自己中心的な生活から、身近な環境を意識する段階への移行期なのです。成犬の社会的行動のきざしとも見られる、兄弟に対する接触が最初におこなわれるのもこの時です。
もちろん、社会的行動の様式そのものはそんなに発達してはいません。短い留守の後で母犬が巣に戻ると、まだ短い尻尾を不器用に振って、興奮した様子が示されるだけのことです。しかし、この時期になると、子犬たちは母犬に向かって頭を上げ、口に届こうと努力し始めます。そしてその行為には深い意味があるのです。実際、この重要な一八日目頃から、大体は父犬と協力して、母親は子犬たちに補助食を与えるようになります。母犬は半分消化された柔らかい餌を、口から戻して与えるのです。この様子を観察すると、犬が幼い時からよく学習できる生き物だ、と納得がゆきます。このようなやり方での度でも追加の食事を貰うと、彼らは両親の口が貴重な食物の出てくる場所だ、と直ちに学んでしまうのです。この時から、子犬たちは両親の口に大きな関心を抱き、その口角に自分の鼻を突っ込むと、しばしば口が大きく開き、熱望していた食物が得られることを理解するようになります。
明らかに、子犬の小さな鼻面は両親に対して「鍵となる刺激」の役割を果たしています。
子犬自身の唇も大変敏感なもので、指先でちょっとくすぐってやると、目を大きく開けたりします。
この最初の重要な経験が、犬の一生にわたる行動様式を植えつけることになるのです。
巣に戻ってきた大人の犬におねだりをする習慣が「お互いの挨拶」に変わり、それは犬同士のみならず人間に対しても示されます。我々の顔つきは犬のそれとまったく異なっているのですが、犬には何処がロであるかははっきり判り、我々が帰宅すると、唇の端を鼻面でつつき、愛循を表現してくれます。ただ、人間は背が高いので、犬は飛びつかざるをえないわけです。
私がここで述べたように、唇の端に子犬たちが引きつけられるという犬固有の行為にこそ、学習の可能性のきざしが見られるのです。現在、家犬の親たちの大多数においては、この食物を吐きだしてやるという本能的な行動が消えうせてしまっていますが、子犬たちのほうには餌をねだる行為がいまだに残っているのです。…
生まれながらの知識、つまり「遺伝的相互作用」には、経験との関連はまったくありません。また、誕生直後には役に立たない「遺伝的相互作用」はすぐには現れず、それが役立つ時点まで熟成し続けられます。そして「遺伝的相互作用」ーこの場合は餌をねだる行為ーは、親の口から「食物が吐き出される」という「鍵となる刺激」が与えられて初めて発現するのです。したがって、これは、一見、学習であるかのように受けとられてしまいます。もちろん、これに経験が加われば、その行為は更に確実におこなわれるのでしょうただ、犬に関する限り、この件については慎重な観察が必要なのです。私は、経験を蓄積するために、犬という動物がどのように作られているかを既に説明しました。ある動物が、経験を重視するように作られていれば、その分、生まれながらの知識の重要性は減少します。たとえば、魚、鳥などの下等動物においては、生まれながらの知識が「種」の存続の鍵を握っているのです。生後に学習される追加知識は「遺伝的相互作用」に不足がある場合にそれを補うだけのものです。これとは異なり、犬は学習するために作られており、生まれながらの知識はもっぱら学習が充分なされるのを助け、生き延びるための補完作用をするにすぎません。したがって、場合によっては、犬は経験によって得た知識(「取得された相互作用」と呼ぶ)を生まれながら持っている衝動に優先させ、後者を抑制することさえできるのです。
さて、二〇日目頃まで、子犬たちは巣から離れず、そこは非常に安全な場所なので、まだ恐怖に対する反応を示しません。子犬がかたまっている中に指を入れてご覧なさい。新しい物を確かめようとして、彼らは指の臭いを嗅ぎ、嘗め、口にくわえたりします。巣は彼らにとって全世界であり、そこにある物すべてがその安全な世界に組み込まれてしまうのです。
ところが、この状態は二一日目から自然に変化してきます。子犬たちに突然、母犬について歩く衝動が芽生え、初めて巣の外に出るようになるのです。この時見られる現象は犬科の動物特有のものです。雌犬は自分についてくる子犬には、もはや関心を示さなくなり、逆に、雄犬は気もそぞろになってしまいます。彼は最大の喜びを表しながら予犬たちの回りを飛び歩き、彼らと遊ぼうとします。ところが、それが子犬に対してまったくもって思いやりのない方法なのです。鼻面で子犬を突き飛ばし、足でひっくりかえし、ひどい時は歯でくわえて数メートルも向こうに放りなげたりします。この光景を初めて見ると、雄犬は子犬を殺そうとしているとさえ思うほどです。しかし、子犬たちは身の処し方をよく心得ており、大声で鳴きながら背中を下にしてひっくりかえるのですすると、その瞬間、雄犬は背を向けてしまいます。この子犬の行為が有名な「服従の姿勢」と呼ばれるもので、正常な犬同士の間では、確実に相手の攻撃性を抑制するのです。腹と喉を見せる行為は親の介抱も促し、親は横腹や会陰部を嘗めてやったりします。
我々の犬もこのような恰好をして服従の念を表し、同時にそれを善意で受け入れるあかしとして、飼い主に腹を撫でたり、ひっかいたりしてもらいたがるのです。よく見ることなのですが、犬たちは、はばかることなくこのやり日を利用します。階級の上の雌犬が、下位の雌犬に背中を地面につけて引っくり返る姿勢を二時間以上も続けさせるのを見たこともありました。初めは喰嘩だったのですが,下位の雌犬はすぐひっくり返り服従の姿勢を取ったのです。上位の雌犬は荷足して立ち去りましたが、ずっと目を離しません。下位の雌犬が、そろそろ一件落着と足を地面に着けると同時に上位の雌犬は意地い悪く唸り飛び掛る。哀れな雌犬は再び仰向けになる。この光景はその間隔が段々長くなりつつも数時間も続きました。最後には、上位者が恐い目つきで睨むだけで充分だったのです。
下位者が大人しくひっくり返り、尻尾を股の間に入れて顔を真っ直ぐ空に向けている格好は滑稽そのものです。しばらくしてから、この犬はゆっくり頭を動かし、相手の様子を窺い、上位者が反応を示さないと尻尾をのばし、まず後ろ足、ついで前足を動かし始めます。でも、もし、相手が厳しい目つきをすると諦めてもとの姿勢に戻るのです。
子犬はまだ経験を積んでいない。実は衝動で動いているに過ぎません。でも、もう少し後になって自分より強力な相手に攻撃されれば、それまでの経験が、生まれながらの反応を助けることになるのです。
先ほどの続きを見てみましょう。悲鳴を上げてひっくりかえった子犬から離れた雄犬は次の子犬に向かいます。最初の子犬は短い足でヨチヨチ歩きながら、可能な限りの速さで懐かしい巣に戻り隠れます。暫くするとすべての子犬は共通の重要な経験を身に付けて巣の中で一緒になるわけです。巣の外では嫌な事が起きる……中は安心だ……!
なぜなら、子たにこのような体験を積ませた雄犬は、彼らを巣の中まで追いかけはしないからです、子犬全員が巣に帰ってしまうと、雄犬の一見あふれんばかりの遊戯に対する情熱は無くなってしまいます。これを見ると、この行為が非常に大きな教育の目的でなされているといわざるをえないのです。
さて、子犬たちは父親のすさまじい優位を徹底的に、しかも衝撃的なやり方で学ぶということに注意しましょう。また、この瞬間から、子犬たちは、巣が全世界だとは思わなくなり、彼らは直感的に、知っているものとそうでないものがあることを学ぶのです。二一日目以降、巣の中に手を入れてみると、怖そうに身を引き、場合によっては脅かすように唸ったりします。小さな子犬のそれまでの盲目的信頼は、未知のものに対する不信に変貌してしまったのです。



コラム

先天的な問題犬がいない訳

ビビリ(病的なもの)は一種のコミュニュケーション異常です。
犬がまだ今より自由な生き方をしている頃、犬を病的に恐がる犬が、はたして子孫を残す事ができたでしょうか?
犬に近寄る事も近寄られることも出来ない犬は交尾することが出来ません。また、群れの数を減らしてしまうような攻撃性のある犬も群れから排除されてしまうでしょう。
犬の機能は群れをなし狩をして生活するために出来ています。
その犬の群れの中に(人間の群れの中に)人を(犬を)組み入れる事で現在の私たちと犬との関係は成り立っているのです。
幼犬期に上手く人間と付き合う方法を刷り込んでおかなければ良い関係がつくれないと言ってもいいでしょう。
しかし、ペットショップやこういった事を知らない人に育てられた犬が多く存在する事も残念ながら事実です。

知らない事は罪ではない、

しかし、知ろうとしないのは罪だと思う・・・


ニックネーム ポセイドン at 03:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月19日

ビビリの犬とのくらし方 その3

前回のブログに書きましたが、犬は決して犬として(成犬としてすべてをそなえている)生まれてくるものではありません。犬が犬になっていく成長の過程を理解していなければ、問題行動(ビビリも含みます)を起こす犬がどの時点で何が原因でそうなってしまったのか推測する事すらできません。何回かに分けて犬が犬になっていく成長過程を説明していきたいと思います。今回は誕生して間も無くから二週間目までの期間です。この時期は親犬が子育てをしているだけでなんら問題の無い時期です。はっきりいって人間の出る幕はないのですが・・・


犬の行動学 エーベルハルト・トルムラー(中公文庫)より

植物状態ーーー新生児期(一〜二週)

さて、生まれたばかりの子犬を観察しましょう。母犬から産み落とされると、その生命は小さな叫び声で始まります。小さな口を一杯に開け、舌を出し、最初の一声をあげると空気が吸い込まれ、粘液が吐き出されるのです。
身体を執拗に清掃する母犬の舌から解放されると、子犬は胴体を地面につけて這い、まっしぐらに母犬の腹に取り付き、多少の時間は掛かるにせよ乳房を探し当てます。乳を吸う音は必ず聞こえてくるものです。
生まれたばかりの子犬の瞼は閉じており、耳も聞こえません。色々な実験の結果からすると、嗅覚も発達していないようです。では、どうして子犬は乳首を見つけられるでしょうか。
この質問に答え、この後の子犬の発育を理解するためには、行動生理学について若干の知識が必要になります。もし貴方の子犬が良い犬になることを望んでいるなら、この知識には重要な意味があります。
よく本能という言葉が使用され、これですべてが明らかになると思いがちですが、実際はそれほど簡単なことではないのです。動物比較行動学の分野では、相当以前から、色々な意味を持つこの本能という言葉の代わりに「遺伝的相互作用」という概念を用いています。この概念を用いて、複雑で理解の難しい本能的行動をいくつかの「遺伝的相互作用」に分解することができるのです。「遺伝的相互作用」とは、周囲の特殊状況がきっかけとなって活動を開始する原動力ともいうべき概念です。そして、このきっかけとなるものを「鍵となる刺激」と呼び、それが錠前を開け、「遺伝的相互作用」が開放される事になります。特定の神経中枢には捌け口をもとめるエネルギーが溜まっており、「遺伝的相互作用」が動き出すのはこのエネルギーによるのです。一方、別の中枢がこのエネルギーを抑制する働きをしているのですが、「鍵となる刺激」が与えられるとこの抑制は取り除かれてしまうのです。エネルギーが溜まると強い緊張状態を作り出し、ついには「鍵になる刺激」が与えられなくても放出されるようになります。こうなると、正常な動物なら反応を示さないような極微量の「鍵になる刺激」にも反応が起きるようになってしまうのです。
つまり、刺激の敷居が低くなるわけです。これがひどくなると、「鍵になる刺激」が存在しなくともエネルギーは発散され、その結果「遺伝的相互作用」がなんら意味の無い形で発現します。この状態を「虚空反応」と呼びます。実際例で説明してみましょう。
円錐形をして毛のない乳首は、子犬にとって「鍵となり刺激」です。それに触れると「遺伝的相互作用」が発動し、この場合においては乳首を口に含む動作が現れ、これこそが生まれたばかりの子犬にとって適切な行動なのです。ついで、この口に含む動作が次の「鍵になる刺激」になり、犬においては大変典型的な、舌で乳首を揉みながら乳を吸うという行為を発動させます。
もし、この状態にある子犬を母から離ししばらく待つと、「虚空反応」が見られ、子犬は乳首を捕まえたがっているように口を開け、口を動かし乳を吸っている動作を見せます。エネルギーが溜まりすぎたので、通常の抑制が取り払われてしまったのです。こうなってくると、刺激の敷居が低くなったため、以前には見向きもしなかったものも吸うようになってしまいます。授乳を受けている最中の子犬を取り上げ、指を差し出しても吸おうとしませんが、睡眠から覚めた時は指に吸い付いてくるのが一例です。

生まれたばかりの子犬は遺伝的ないくつかの行動形式を持っているだけです。もちろん、彼らの声というものも考慮に入れる必要があり、子犬たちは何かが欠乏したり、不愉快な事があるとすぐに声を出します。これが母犬にたいする「鍵となる刺激」の役割を果たし、母犬はすぐその子犬の面倒をみるのです。要約すると、ある特定の事だけが子犬を鳴きやますことができます。母犬の暖かい身体によりかかるか、兄弟と一緒になれば鳴きやむのです。乳首から離れると鳴き、それを見つければ鳴きやむ。時々、母犬は乳首から離れた子犬を鼻で押して元の場所に戻してやります。この不満を訴える声は、子犬が何らかの理由で巣から離れてしまうと重要な意味を持ちます。母犬はすぐに子犬の所まで行き、慎重な態度で子犬をくわえ、巣に戻すのです。しかし、多数の純血種の雌犬はこの反応を示さなくなってしまいました。
このような状況になると雌ディンゴは、時によって大げさに不安な様子を見せます。子犬を巣の外に置いてみると、そのような雌犬は歯でくわえず、鼻で押して巣に戻そうとしますが、こうなると子犬は絶望的な声を張り上げるのです。また、頭であれ、足、胴体であれ、どこかをくわえ、乱暴に引っ張ったりして巣に戻す雌犬もいます。

目の見えぬ子犬は真っ直ぐではなく、必ず円を描いて這います。この「円を描いて這う」動作は遺伝的行動形式で、こうしていれば巣からひどく離れてしまうことはありません。野生の状態において、母犬は地面にくぼみを掘って出産する事が多いので、子犬が「円を描いて」移動する限り、そのくぼみから外に出て迷子になる危険は少なくなるわけです!

先ほど、子犬は温もりと寄りかかるものを求めると述べました。これを探そうとするとき、特殊な頭の動作が役に立つのです。これも遺伝的行動ですが、頭は左右に揺れ動き子犬を助けるのです。
周囲を知覚する主要な器官は鼻面の先端付近に付いているので、この頭を振る動作により周囲を万遍なく確認できるわけです。
さて、子犬は母犬の腹に辿りつき乳首のありかを探さねば練りません。このために毛の中で鼻を上のほうに持ち上げる動作をし、同時に息を吹き込み、乳首がみつかるまで毛をかきわけるのです。授乳の最中には別の二つの動作も見られます。一つは後ろ足を地面に踏ん張り、乳首を放すまいとするものであり、もう一つは乳腺の方向に頭を強く動かす動作です。
後者は子牛乳房を押すのと同じく、乳の出をよくするもので、同時に巧みに前足を使います。

以上が、生まれたばかりの子犬がすることのできるすべてです。たいしたことではありませんが、最初の二週間にはこれで充分なのです。この時期の子犬にとっては体重を増加させることが重要課題で、二週間で体重は三倍にもなります。食って寝る、それが存在のすべてであり、そのために必要な道具は全部与えられているわけです。

犬の繁殖を行なっている人は、新生児期の子犬をよく見て、最初の動作をよく観察すべきです(保護主も含む・・ポセ父)。
もし、ある子犬の動作が兄妹姉妹と比べて弱弱しく、遅く、且つ活動的でないならば、その犬の神経系統、つまるところ全体の状態が完全ではないということです。私のいうところの「活力」が弱いので、なんとか成長したとしても決して健康な犬には育ちません。健全な成犬が保持するべきすべてのものは、子犬が持って生まれたものから成り立っていることを忘れてはならないのです。

子犬に見られる数少ない行動様式を支配する部位は、脊髄と中脳に存在する事が判っています。この中脳は脳の中でも原始的な部分で、それらを統括する働きのある大脳の根元にあります。まっとも誕生時には大脳は殆ど活動していませんが・・・
ところで、前述の子犬のように、生まれ付き中脳が貧弱であれば、大脳が活動し始めたとしても良い結果をもたらすとは考えにくいことになります。
さて、目の前に生きるために充分な備えのある、生まれたばかりの健康な子犬たちがいるとしましょう。我々は犬というものが社会的な動物であることを知っているのですが、この特徴は彼らの行動にかいま見られるでしょうか?答えは簡単明瞭に「いいえ」です。

この時期の子犬は社会的傾向を持つどころか、自分の生命の中心である乳房以外の周囲には全く関心がないものです。この時期を表すために「植物状態」とはよく言ったものです。それは母犬の胸に抱かれ、成長と体重の増加に専心する無意識の時代なのです。
ニックネーム ポセイドン at 04:22| Comment(0) | TrackBack(4) | 私の思うこと・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月11日

ビビリの犬とのくらし方 その2

本題に入る前にチョッと書きたいことがる。
とあるサイトの記事についてだが、そこには生後一年四ヶ月の預かり犬がいる。その犬もポセイドンと同じお散歩の出来ないビビリの犬だ。
同じ預かりボランティアのもとに一年い続けその間にビビリになった犬だ。
昨日も書いたが犬は犬として生まれてくるものではない、性格として臆病であってもビビリとして生れ落ちる物ではないのだ。ビビリとは人間が社会化期に適切に犬をあつかわなかった結果なのだ。にもかかわらず「そのままの状態で無理に変えようとはせず飼って下さる方を里親として希望します」ときた。ビビリのままで果たして犬は幸せになれるのだろうか?
答えは明白である。犬は群れで生きる生き物だ、その為にその生態は造るられている。犬とは群れの中で自分の役割、任務を的確にこなす事に喜びと存在意義を感じる生き物だと思う。何もせず、行動も自由にならぬほどの恐怖を抱えていては自分の役割を果たす事は出来ない、それで彼らは喜びを感じて生きていけるのだろうか?
群れの役に立とうとしない犬はいない、なぜなら群れが繁栄しないことには彼や彼の子供たちは生きていく事が出来ないからだ。家犬として生きる犬達にとって人間の家族は自分の群れなのである、またその家族の家長は彼にとってはリーダーで犬であるかどうかは関係が無いのだ。
人間のコマンドに犬が嬉々として従うのはその為なのだ、であれば彼らはビビリでいる自分が好きなはずは無いのではないのか?

ビビリを克服する事は簡単ではない。臨界社会期を過ぎた犬にとって、個別認識が出来るようになっているので、恐怖の対象は一つ一つ克服していくしか方法が無い。(たとえば人と言う一括りから、大人子供女男など色々な属性が理解できるようになっていく事を個別認識が出来るといいます。)確かに時間は掛かる、克服するために恐い思いもする。しかし、一度克服できた物は彼にとっての財産だ。なぜなら二度と今後生きている間恐れる必要のないものになっているから。

このビビリ犬の預かりボランティアとその記事に肯定的に「その考え方もいいかも」とコメントしていた方に聞きたい。

貴方のお子さんが引きこもりになった時、貴方はそのまま受け入れるのですか?そしてお子さんは引きこもりのままで人間として幸せだと思えるのですか?


今一度言う、犬は犬として生れ落ちる物ではない、また犬は生まれ付いてビビリになることは無い。

ビビリの犬は人が作り出しているのだ。

ニックネーム ポセイドン at 03:40| Comment(2) | TrackBack(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月10日

ビビリの犬とのくらし方

そろそろポセが我が家に来てもうすぐ一年になります。
そこで、ポセについてしばらく連載してみようと思いました。何度も書いていますがポセイドンはかなりのビビリです、彼について書くことでビビリの犬を理解する手助けになる事を願うしだいです。

散歩の出来ない子犬


ポセイドンは散歩が出来ませんでした。生後四ヶ月の子犬であれば好奇心の塊で、玄関から飛び出してしまうのを押さえるのが大変なはずです。
しかし彼は散歩に連れ出そうとすると玄関で足が震え、リードを引けばその場に座り込むほどでした。
ポセイドンが散歩に出られなかった訳を理解するためには、まず犬がどのようにして犬にるのか理解する必要があると思います。
まず、皆さんが誤解しやすいのは犬は生まれ付き犬だと思うことです。犬は日々犬として作られて行くもので決して生まれた時に犬として完成されているものではありません。
生まれてから数々の段階をへて成長していくのですが、中でも刷り込み期(imprinting)第四週〜七週と社会化期八週〜十二週の期間における失敗がビビリになる大きな原因だと思われます。
刷り込みとは、皆さんもよくご存知のアヒルが生まれて最初に見た動く物に付いて歩くようになると言うあれです。
犬においてもこの時期に安全なもの(兄妹犬や親犬、親犬が巣の周りから排除しない安全な動物や物)を刷り込みとして理解しています。
この時期刷り込まれた事柄は一生その犬にとって安全であると理解されます。
社会化期とは、犬の群れの中で安全な物、数々のコミニュケーション方法などを学んでいく期間です。兄妹犬とのじゃれあいや、親犬との遊びの中からそれらを身につけていきます。

ポセイドンの場合は、野良の母犬から生まれ生後間も無く保護されました、また保護後病気になりそれが伝染性のものだったので兄妹犬からも隔離されて育ちました。
そのため、彼に与えられる刺激は著しく少ない物になってしまいました。その為にポセイドンは安全であるものとして認識している物が少ない犬として成長してしまったのです。
我が家に迎えた時には生後四ヶ月、すでに刷り込み期も社会化期も終わっていました・・・
いまでは、このように外で振舞えるまでになりました(下の動画をご覧下さい)。ここまで成長していく過程を、プロのアドバイスを受けつつ参考文献などをまじえて説明していくつもりです。
次回予告 子犬の成長を詳しく見てみよう












ニックネーム ポセイドン at 03:48| Comment(3) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする